美礼がSUNNYの仲間になれる可能性は果たしてあったのでしょうか。美礼が越えた一線は何だったのかも見てみましょう。
奈美に突っかかる理由
この作品で美礼はダークサイドの役回りです。彼女の影の部分がSUNNYたちの輝きをより鮮明にしています。
淡路島から引っ越してきた田舎者の奈美がすんなりと芹香に受け入れられたことが美礼には心情的に納得できません。
美礼と芹香は仲のよい友達でしたが、美礼がクスリに手を出したため芹香に拒絶されてしまいます。
美礼は芹香と寄りを戻したいのです。以前のように連みたいと考えていますが芹香に受け入れられず、そのはけ口が奈美に向かいました。
奈美にクスリを強制的に飲ませ、自分と同じレベルに貶めたいのです。いいかえればそれほど彼女の孤独と自暴自棄は激しかったのでしょう。
そんなことをしても益々芹香の拒絶は強くなることをわかっていながら、そうぜざるを得ない美礼の孤独は深刻です。
SUNNYたちと美礼の違い
芹香に美礼は救えなかったのでしょうか。あまり語られていませんが、美礼が一線を越える過程で芹香は彼女を必死に引き戻そうとしたはずです。
芹香だけなくSUNNYのメンバーたちにはある種のプライドがありました。それは「売りとクスリは絶対やらない」というプライドでした。
一部の大人から見るといわゆるコギャルたちは皆同じに見えます。でも違いました。
SUNNYのメンバーたちが一線を越えることは決してありません。彼女たちは「真面目に」生きていました。輝いていたのです。
生きるということ
恋愛も真剣にし、自分で自分が許せないことは決してしません。訳もなく楽しい日々をただ生きていました。
大人になった彼女たちは「あの頃なぜあのように楽しかったかわからない」といいますが、あの頃彼女たちはああするしかなかったのです。
美礼も同じ輝く日々をおくれるはずでした。彼女がクスリにのめり込んだ事情は定かではありません。
ただSUNNYのメンバーたちとは違う道に一歩踏み込んでしまったのです。
SUNNYの時代
この映画の舞台になった時代は我が国にとって大きな曲がり角でした。
バブル経済がはじけ、後々この時期の日本経済は失われた10年とも20年ともいわれたのです。
大人たちは為す術もなく呆然と立ちすくんでおり、明るい未来が描けない時代でした。
SUNNYのメンバーがはじけた時代はそのような、まさに20世紀が終わろうとする世紀末だったのです。
世紀末
20世紀も終わりが見えてきた1990年代は我が国にとって混沌の時代でした。
バブル経済ははじけ金融機関の大型倒産も相次ぎました。阪神淡路大震災があり地下鉄サリン事件も起こりました。
そういえば、あの酒鬼薔薇聖斗事件もこの頃でした。世は世紀末だったのです。
このような一つの時代が終わろうとするとき、それまでの価値観では計れない現象が起こります。
江戸時代末期には「ええじゃないか」とリオのカーニバルばりに大衆が踊り狂うお伊勢参りが社会現象になりました。