大人の目線で見れば当時の女子高生たちの常軌を逸した振る舞いも、理屈では説明しきれない一種の社会現象だったのかも知れません。
元気だった女子高生
それにつけてもあの時代の女子高生たちの元気はどこから来ていたのでしょうか。
彼女たちに何かブームを作ってやろうとか、目立ってやろうとかの意識はなかったようです。
裏に大人たちの見にくい仕掛けがあった気配もさほどありません。
当時はメールもSNSもありませんでしたから、彼女たちはひたすらしゃべるしかお互いを確認し合うことはできませんでした。
映画の中で「近頃の高校生はおとなしいね」と元SUNNYのメンバーたちが話すシーンがありますが、当時の彼女たちはしゃべり合うしかなかったのです。
冷静に考えて見れば、実はあの時代の彼女たちこそ自然だったのかも知れません。
あるべき模範的な姿やなすべき規範という不自然な重しがとれれば、人は自ずと彼女たちのような感性に任せたナチュラルな振る舞いになるのかも知れません。
もちろん大人になった彼女たちにはあるべき模範的な姿やなすべき規範という得体のしれないものがのし掛かってきます。
ただあの頃の彼女たちの輝きは単に若かったということだけでは説明が難しく、世紀末という時代背景が彼女たちの感性に火を付けた可能性が否定できません。
奈々のその後
奈々は事件を切っ掛けにモデルをやめ行方をくらませましたが、物語的には最後の最後で彼女が姿を現すのは必然でした。
彼女のその後は非常に興味深く、それだけで一つの作品が作れそうです。
彼女の顔の傷がどうなったかという我々の興味に奈々の仕草がこたえてくれました。
奈々の傷が完治したことはSUNNYを分解に導いたお互いの心の傷が癒えたことを象徴しています。「SUNNY再結成」が成る決定的瞬間だといえます。
渉との再会
奈美と渉の再会シーンも一手間掛けています。若い時の渉が現れて、おやっと思わせますが、実は渉の息子という設定です。
渉は奈美にとってあのとき太陽だったことでしょう。広瀬すずの演技は奈美のウキウキとした心を余すことなく表現しています。
そのぶん渉と奈々のキスを目撃したことは奈美にすさまじい衝撃を与えました。
彼女がある意味つまらない人妻になってしまった背景には、渉との失恋が大きく影響している可能性があります。
彼女が大人の渉にお久しぶりの言葉以外何も語らず、あのときのパンフレットとチケットを渡して去るシーンは彼女の心の傷の深さを思い知らせます。
【SUNNY 強い気持ち・強い愛】は忘れていたものを思い出させる
現代社会に生きる我々は誰も皆ある種の息苦しさを抱えています。この映画はこのような我々に「生きる」ことの素晴らしさを伝えてくれるのです。
この映画は幾らビジネスで成功しても、安定した家庭生活をおくっていても、それで本当に生きているといえるのかを我々に問いかけます。
誰にもある本当の意味で生きた輝かしい時代に思いをいたすことは、決してノスタルジーでも逃避でもありません。
最後に見せる時代を超えた面々によるダンスが、現在とあの頃の自分をつないでくれる見事なラストシーンになっています。