邪として育った文宏や伊藤は劇中で涙を流しています。
彼らの涙は何を物語っていたのでしょう。
二人は邪になれなかった
文宏や伊藤は邪として育てられましたが、劇中では完全な邪にはなっていません。
伊藤の方は、頑張って邪になろうとしているような印象さえ受けるのです。
彼らの涙は心の根底に流れる善の部分ではないでしょうか。
生きていてはいけないと思っていた
伊藤は自分の生い立ちを語り、何度も死のうとしたことを白状していますが、ずっと自分には価値がないと感じていたのでしょう。
生きても生きても不幸から抜け出ることが出来ないのです。
彼はテロを起こし死ぬことが人生だといいつつも、心の奥では生きていきたいと思っています。
自分の邪な部分がそれを許そうとしない、そんな屈辱的な葛藤が彼に涙を流させたのではないでしょうか。
文宏の涙は共有出来た喜び
一方、ラストで見せた文宏の涙は香織と想いを共有出来た喜びからくるものです。
届きそうな距離にいながらも、決して届かない心が最後に繋がった瞬間といえます。
文宏の友人という嘘を傘に、香織と繋がることが出来たのでしょう。
総てをかけて守った女性が幸せになる方法は、自分と離れること…そんな辛い気持ちも交差していたのかもしれません。
JLの本当の目的
本作に登場したテロリストJLは、何を目的に活動していたのでしょうか。
世の中に復讐したい
世直しとかを考えている訳じゃない、自分たちの生活を変えようとしている訳でもない
全ての者を下へ下へ引きずり落としていく
引用:悪と仮面のルール/配給会社:ファントム・フィルム
JLは自分たちの主張や思考を推し進めようとはしておらず、復讐の為だけにテロを起こそうとしているのです。
世界に反旗を翻すといった高い志は持っていないように感じます。
彼らには確固たる信念はありません。
久喜家の思想
JLの思考は久喜家の思想に沿ったものではないでしょうか。
自分たちの憂鬱を晴らす為、他人を引きずり下ろし不幸を眺めるという悪趣味な考えです。
伊藤もまた久喜家に捕らわれた人物だったので、無意識のうちに久喜家の思考に洗脳されていたのかもしれません。
人間を恨んでいた
お前人間恨んでんだろ、顔みりゃわかるよ
引用:悪と仮面のルール/配給会社:ファントム・フィルム
伊藤は、幼いころから暴力を受け続け精神が歪んだ状態だったといえます。
自分が不幸なのは、親のせいであり手を差し伸べてくれなかった社会のせいだと思っていたことでしょう。
JLの根底には、社会への逆恨みがあったように感じます。
邪の本質
本作には邪になり切れなかった伊藤と文宏の姿が描かれていますが、邪に染まった人間の姿も描かれています。
死を恐れない捷三と幹彦
中村達也演じる幹彦と村井國夫が演じた捷三は、まさに邪と呼ぶべき存在で描かれていました。