出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B076SHBJLZ/?tag=cinema-notes-22
ノーラン監督は「インターステラー」や「ダークナイト」などアメコミ・SFから戦争映画まで守備範囲の広い監督です。
具体的テーマとリアルな映像描写の中に「内省的」な主張を提示する事で知られます。
そんなノーラン監督が初めて実話であり戦争映画に挑戦したのが「ダンケルク」。
彼の徹底した下調べは夫人でプロデユーサーのエマ・トーマスとの共同作業です。
これに基づく凝りに凝ったリアリティ溢れるプロダクションデザインへの拘りにノーラン監督の本作へ掛ける意気込みが強く伝わってきます。
これまで同名の映画や、ダンケルク(ダイナモ作戦)が絡んだ映画が何作か作られていますが、それらと決定的に違うのはどこか。
ダイナモ作戦の史実を振り返りながら、ノーラン監督が本作で描きたかった世界は何だったのかを考察してみたいと思います。
「ダンケルク」と”ダイナモ作戦”
ノーラン監督の本作におけるダンケルクの戦いの位置づけ
本作「ダンケルク」において戦況は冒頭で簡略に説明されるだけ。細かい点は思い切って端折られています。
描かれる土地の説明や登場人物の背景説明もなく、冒頭から一人の兵隊が追われて、砂浜のダンケルクの砂浜に出ます。
そこには膨大な兵士が集まっていた、というシーンに切り替わります。
これがノーラン監督の狙いのひとつ。
本作は、かつてこの撤退劇を描いた諸作品とは異なるのです。
「ダンケルク」の戦闘実態や人間模様から「物語性」を重視して主題を引き出すものではありません。
後述しますが、ノーラン監督の目指すものは「純粋な戦争物語映画」ではありません。
本作戦を「サバイバル映画」「サスペンス映画」としてのアプローチからとらえることでした。
ノーラン監督の目論見を知る前に、「ダイナモ作戦」の概略を映画で説明される以上に知っておくこと。
これは監督の狙いであるサバイバル状況、サスペンス的側面を深く理解する上での大きな助けとなるでしょう。
ダイナモ作戦とは
第二次世界大戦の転機となった「史上最大の撤退作戦」
1939年9月、ナチスドイツは突如ポーランドへ侵攻、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされました。
破竹の勢いのナチスドイツは翌年フランスに軍を進め、鉄壁だと思われていた対ドイツ要塞「マジノ線」をあっけなく突破します。
イギリスはドイツ軍がポーランドへ侵攻した直後にドイツに対して宣戦を布告。
数十万人のイギリス兵が「イギリス海外派遣軍」(REF)として大陸に派遣されます。
イギリス軍はフランス軍などと連合軍を形成してドイツ軍と対峙していましたが、ずるずると押されていきます。
連合軍はフランスの英仏海峡の港町ダンケルクの海岸(遠浅の海水浴場)まで敗走を余儀なくされます。
多数の兵士が海岸線に追い詰められてしまいました。
これに対し連合軍は、兵士をダンケルクの海岸からイギリス本国に船舶を使って脱出させる計画をたてます。
これが「ダイナモ作戦」です。
主体はイギリス軍で、作戦は1940年5月26日から6月4日までの間に展開されました。
全軍と民間の船舶(漁船、遊覧船、貨物船、プレジャーヨットなど)が動員されています。
短い期間にイギリス兵、フランス兵を中心に約33万人の撤退に成功しました。
この民間の船の動員というの事が大きな意味を持ちました。
連合軍により要塞化されたダンケルクに対し、ヒトラーは機甲部隊が受けるであろう損害を恐れていました。
一方、ゲーリングの「空爆だけで大丈夫」というドイツ側の作戦の混乱の中、イギリス空軍と民間船の奮闘もあり短期間で多くの兵士を救出できた結果に繋がりました。
但し、現実には約7割の兵士は大型軍用船に救出されています。
作戦中にベルギーが降伏するという緊迫した状況下の出来事でした。
ダイナモ作戦の評価
チャーチルは「第二次世界大戦の中で最も成功した撤退作戦」であったと評価しました。
船舶を提供した国民が兵士(特に若い兵士)を一致団結して救出したことは”ダンケルク・スピリット”と語られます。