加えて空中戦の要であるイギリス空軍のスピットファイアー3機は本物を借り、敵機メッサーシュミットはスペインのスピノザを改造します。
この機首部分を敵と分かりやすくするため、その当時ままだ実施されていなかった黄色にしました。
黄色い機種の独軍機は空中で敵味方のビジュアル的識別に役立ち、また悪役的存在としてのリアリティを獲得したのです。
スピットファイアにはIMAXカメラを固定してパイロット(トム・ハーディー)の顔をアップで狙っています。
実際にトムを載せて(2座)飛んで空中戦を撮影、ダンケルク海岸に、高価な本物のスピットファイアを着陸させるという困難にも打ち勝ちました。
フランス軍から本物の駆逐艦を借り出し、美術チームは沈没用に二分の一の大きさの駆逐艦も作ってしまいました。
加えて遠浅の海岸で大型艦船が近づけないこともあり、市民の船(リトルシップス)がたくさん現場に駆け付けます。
そして兵士を乗せ沖の大型船に運んだり、直接イギリス本土まで運んだりした映画の大事な一角を占めるシークエンス。
ここでは、当時実際に使われたボートも「出演」しています。
プロデューサーでノーラン監督の夫人であるエマは、
「ダンケルクが他の戦争映画と違うのは民間人の映画でもあるというところなの。つまり日常的な英雄行為の物語。
だからこそ、映画としての魅力がある」
引用:ジョシュア・レヴィーン著「ダンケルク」(ハーパーコリンズ・ジャパン発行)
と語っています。
以上のような例から、ノーラン監督が如何に実際の戦場、またダイナモ作戦のリアリティに拘ったかが見て取れます。
ノーラン監督のこだわり③キャスティング編
観客が知らない人を
監督は登場人物が著名な俳優であることで、観客の想像力にバイアスがかかることを嫌いました。
そこで名の知られていない無名に近い若手をキャスティングしました。
実際ダンケルクで救出された多くがイギリスの18、19歳の少年だったといいます。
砂浜のシークエンスでのメインとなるフィオン・ホワイトヘッド。
初めて映画で演技をするワン・ダイレクションのハリー・スタイルズもそういう面から選ばれています。
観客に顔を知られていないほうがリアリティを感じて貰えるという趣旨からでした。
そのかわり、脇を固める俳優陣にはケネス・ブラナーやジェームズ・ダーシーといったベテランを配しました。
バランスと安定感を失わないように工夫されています。
観客を戦いの場に連れて行く
見事な時制のコントロール
本作は、陸=ダンケルクの海岸、空=スピットファイア、海=リトルシップスたち、の3つの物語がクロスして進行します。
ここでは監督の時制をコントロールする上手さが見られます。
空の戦いはほぼ映画の長さと同じ2時間程度、しかしドーバー海峡を渡る船は片道8時間ほどもかかります。
さらにダンケルクの海岸から撤収が終わるまでには約10日かかっているのです。
ノーラン監督はそれをほぼ同じ時制に放り込んで、一本の時間の流れのように上手く見せています。
大作(テーマとして。実際の製作費は意外と安い)にしては今どき珍しい106分という短い時間。
これにこれだけの大掛かりなプロットを展開しているノーラン監督は、やはりただ者ではないですね。
体験こそ本作の生命線
ノーラン監督は本作鑑賞のポイントに「体験」を挙げています。
これまで書いてきたように、(監督本来の主義とはいえ)兵士目線のキャメラ、美術やキャスティングなどから来る徹底したリアリズム。
そしてセリフの排除、プロットのシンプル化、そうしたことが、映画「ダンケルク」の中には本物しかありません。
圧倒的な臨場感や、映画を観ている人が戦場にいるかのような感覚を生み出しているのです。
それこそクリストファー・ノーラン監督が「観客を戦場に連れていきたい」とする、この「ダンケルク」に込めた思いなのでしょう。
イギリス本土に帰ってきた兵士のひとりにタオルを手渡す盲目の男(市民)。
兵士が「生きて帰って来ただけだ」と悄気げた顔でいうと「それで十分じゃないか」と男は返します。
このシーンに本作製作プロセスと思いのすべてが凝縮しているような気がするのです。