しかし、父の遺言書通りにならなかった場合のネガティブシミュレーションは必要でした。
そこで高校生であるパトリックなりに考えた結論が元母のエリスに頼むことだったのでしょう。
ジョーの段取り・根回し不足
2つ目にジョーの段取り・根回しが不足していたことも少なからず影響しています。
ジョーに足りなかったのはリーとパトリックの双方にきちんと話して合意を得ることでした。
弟だから引き取って面倒を見てくれるだろうと甘い見通しで十分な下調べを怠っていたのです。
また、リーが引き受けてくれなかった場合の選択肢を用意していなかったのも影響しています。
何事においても最悪を想定してのネガティブシミュレーションは欠かせません。
全ては父親の算段の甘さが招いたことであるといっても過言ではないでしょう。
母の愛情を知らなかった
そして3つ目に、パトリックはずっと父子家庭で育ったので母の愛情を知りません。
会いに行こうと思っても行けず、かといって母親代わりの人も居ませんでした。
エリスの元へ行っても居心地が悪く、とても歓迎してくれる空気ではなかったのです。
パトリックが何よりも奥底で望んでいたものは父以上に母だったのではないでしょうか。
思えばパトリックもまた大人たちに散々振り回された被害者だったといえます。
乗り越えなくても生きていける
最終的にリーは便利屋に戻り、パトリックもまたリーに住まい探しを伝えます。
過去を乗り越えたわけではなく、そっと心の奥底に仕舞うことを選んだのです。
素晴らしいのは過去を乗り越える生き方をしなくてもいいと肯定していることでしょう。
人間という生き物はそう都合よく出来ている訳ではなく、悩み苦しむ生き物です。
過去と向き合うことで幸せになる人もいれば、そうでない人も沢山居ます。
無理に乗り越えなくとも、人生には選択肢や可能性が無限に広がっているのです。
厭世的な便利屋として孤独な人生もまた1つの生き方ではないでしょうか。
正しさよりも楽しさ
本作は人生において大事なのが正しさよりも楽しさということを伝えています。
嫌な思い出のある故郷や幸福度を下げるような選択をする必要はどこにもないのです。
子供を失った悲しみを乗り越え、甥の後見人になることも選択肢の1つに過ぎません。
ジョーが一方的に押しつけただけで、リーにはリーの人生があるのです。
どちらの生き方が正しいのかよりも、どちらの生き方がより可能性を感じられるのか?
リーにとってはそれが便利屋として孤独に生きることだったのです。
選択肢や可能性を狭めてしまう過去なら、思い切って捨ててしまうことも大事でしょう。
リーを取り巻く家族の生き様を通して、そのことを明らかにしてくれた名作です。