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映画『家族を想うとき』は2019年公開のイギリス・フランス・ベルギーによる合作映画です。
『麦の穂をゆらす風』で有名な巨匠ケン・ローチ監督の作家性が色濃くでた作品となりました。
クリス・ヒッチェンをメインキャストに据え、イギリス社会の労働者階級の現実を描いています。
主人公リッキーのゼロ時間勤務や個人事業主に見える働き手の問題は多くの人達の共感を呼びました。
ニューカッスルを舞台に描かれる酷な労働で切り裂かれる家族の絆は胸が張り裂けそうになります。
本稿ではラストにリッキーが車を発進させた意味をネタバレ込みで考察していきましょう。
また、ライザがキーを盗んだ理由並びにセブが問題行動を起こす理由も読み解きます。
働き方改革への警鐘
本作が2019年という時代の変わり目に出てきたのには大きな意味があります。
それは「働き方改革への警鐘」であり、リッキーの家族を通してその問題を訴えているのです。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』で引退したローチ監督が本作を作った意味はここにあります。
ネット副業を皮切りに「働き方改革」が叫ばれ、多種多様な働き方が出来るようになりました。
しかし、そうした新しいビジネスのあり方・働き方には相応の利益構造や仕組みがあるのです。
それに関する知恵をきちんとつけず、ただ奴隷のように働く人はリッキーのように搾取されます。
働けば働くほど際限のない泥沼にはまってしまい、当初の目的からどんどん遠退いていくのです。
そんな構造の物語に込められたメッセージとは何なのでしょうか?
ラストに車を発進させた意味
本作で非常に考えさせられるのがラストでリッキーが車を発進させた意味です。
家族の制止さえ振り切ってボロボロの心と体を引きずる彼は胸につまされます。
ここではその意味をじっくり読み解きましょう。
リッキーの滑稽さ
まず1つ目に、家族の為に仕事へ行くリッキーの滑稽さが皮肉たっぷりに描かれているのです。
ラストまで通してみると、家族の為に働いているのに家族仲は悪化していきます。
しかし、1度始めた仕事を辞めることも出来ず、他の選択肢を考える余裕もありません。
傍目に見れば、リッキーが視野狭窄に陥っていることは火を見るより明らかです。
それは身を粉にして働き続ける労働者階級への皮肉なのではないでしょうか。
家族と仕事は繋がっている
2つ目に、家族と仕事はあくまでも延長線上で繋がっているということです。
仕事で辛いことがあっても家に帰ればなどという甘い考えは本作では悉く否定されます。
リッキーが幸せを感じられなければ、アビーも息子たちも幸せを感じられません。
どれだけ働いても、働いた結果家族を不幸にしてしまうのは本末転倒なのです。
リッキー1人で全てを背負う働き方が本当に格好いいといえるのでしょうか?
逆説的に家族と仕事の関係が不即不離の関係にあることを示しています。
時代に取り残された家族
3つ目に、リッキーの家族が時代に取り残され旧式化した家族であることを示しています。
リッキーの家族は両親共働きでマイホーム・マイカーを持っている昔懐かしい家族像です。