ナンシーはそのカモメを見て、医療を目指した者として少なからず「手を差し出さなければならない」と思ったのでした。
ナンシーは医者としての視点で、カモメを治療します。また、カニを捕まえたときには、カモメは絶望的でありながらカニを狙っていました。
つまり「生きる意志」を見せるカモメに、ナンシーは手当てを施すことで、生きさせたいと思ったのです。
その全力な姿は、ナンシーの母親の最後の姿にも重なります。
カモメからのプレゼント
映画ラストでは、挫折した医療への道へ戻ったのか、妹から「ドクター」と呼ばれます。
医療への道へ戻ったのは、カモメに教えられたことが大きかったからです。
先述したように、絶望的な状況で全力で闘うカモメは、死の直前まで全力で病と闘った母親が重なります。
ママは全力で闘ったわ。でも結果は同じ。勝てなかった
引用:ロスト・バケーション/配給会社:コロンビア映画
以前はそう語ったナンシーでしたが、母親が重なるカモメは命を取り留めました。
つまり「結果は同じ」ではないのです。それに気付かされたナンシーは、1年後には医療の道へと戻るのでした。
まさにカモメからのプレゼントをもらったのです。
絶望に立ち向かうこと
ナンシーは絶望的な状況から、自分の体力と知力だけで状況を打破しました。
その中で感じたことが、医療の道へ戻る原動力となったのです。
妊婦の島と母親と
ナンシーが海岸に打ち上げられ、地元の子ども(ミゲル)と父親に助けられた時、ナンシーは3つのものを見ました。
- 助かったカモメ
- 冒頭で「妊娠してる女の人の島」と呼んだ島の、お腹から離れ島(子ども)にかけて
- 母親の幻影
妊娠している女の人の島と母親(カモメを重ねて)との関係で見れば、自分は妊娠した母親から生まれてきた存在。
子どもが産まれ、母親と切り離されているというのは、母親とは違い、絶望的状況から助かったということを示唆します。
つまり、母親とは同じ結果にはならない、とナンシーは思うのです。
母親の死というトラウマを乗り越えたナンシーは、もう一度医療の道を目指すのでした。
「もう大丈夫」の意味
母親の幻影を見た時、ナンシーは意味ありげな言葉をつぶやきます。
もう大丈夫
引用:ロスト・バケーション/配給会社:コロンビア映画
何がもう大丈夫なのかと言うと、大きく2つの意味が考えられるでしょう。
- 死ぬことはない
- 人生に迷うことはない
死ぬことはない、というのは当然サメや海の脅威から。そして、人生に関しては、医療の道を志すことです。
つまり今回の経験で、ナンシーは医療者になることへの強い意志を持つことができたことを示唆しています。
原題『The Shallows』邦題『ロスト・バケーション』
本作の原題は『The Shallows』は日本語で浅瀬という意味になります。
邦題では『ロスト・バケーション』と名付けられたこの作品。邦題をつける際に、いろいろな意味が付与されたかもしれません。
単純に「失われた楽園」をこれが本来のビーチ名だった、と解釈もできますし、「ロスト=失う」をさらに拡大解釈できます。
つまり命を失う、夢を失った(ナンシーの医療への道)、このような解釈も可能です。
ナンシーは、さまざまなものを失うはずのビーチで、命や目標を取り戻すことができました。
このビーチで取り戻すことができたものは、一生の武器になります。
映画ラストの1年後のナンシーは、その強さを持った女性になっているのです。