結果的にウィリアムはぶち切れ、プレンダガストは耐え抜いたのです。
ただ物語の後半でプレンダガストが自分の本性を現すシーンがあり、我々に少し爽快感をもたらします。
アメリカ社会の矛盾
【フォーリング・ダウン】はアメリカ社会が抱えている様々な矛盾や課題を明らかにしてくれます。
そしてこれらが決して解決されそうもないフラストレーションを、ウィリアムが我々の代わりに一時的にせよ晴らしてくれます。
もちろん、それが根本的な問題解決につながらないことはいうまでもありません。
不寛容性
アメリカ社会のように様々な人種や経歴の異なる人々が共存する社会では、寛容性がないとどうしようもありません。
自分たちの正義だけを主張してもトラブルが増えるだけです。
それぞれの正義を認め合う寛容性こそ問題解決の本質といえるのではないでしょうか。
この作品では社会の不寛容が行き着く先のカタルシスを垣間見せてくれます。
格差問題と公的システムの機能不全
アメリカ社会だけでなく、先進諸国の格差問題は深刻です。富めるものは益々豊かになり、貧しいものは貧しくなる一方です。
警察が「心配なら弁護士を雇え」とウィリアムの元妻を突き放すシーンがあります。安全すらお金で買わなくてはいけないのです。
不必要な公共工事が年度末に予算消化のため行われるのはいずこも同じです。
そのために起こらなくてもよい道路の渋滞が発生したりします。ウィリアムでなくとも怒りがこみ上げてきます。
このような公的システムの機能不全は目を覆うばかりです。
ウィリアムが帰りたかった家とは
物語ではウィリアムが「家に帰りたいだけだ」と言うシーンが何度も出てきます。
彼が本当に帰りたかったのは娘がいる元妻の家なのでしょうか。
もちろんウィリアムは娘の誕生日パーティに行きたいし、元妻と寄りを戻したかったのは事実でしょう。
でも本当に彼が帰りたかったのは温かいかつての家庭と寛容な古きよきアメリカ社会なのではないでしょうか。
ウィリアムは国に尽くしたはずの自分に決して温かくなく、全てにギクシャクした社会にほとほと疲れ果てたのです。
【フォーリング・ダウン】が描きたかったもの
【フォーリング・ダウン】が描きたかったのは現代アメリカ社会の矛盾とどうしようもない無力感です。
結末はホープレスで、決して安易な解決への道を示していません。
でもこのどうしようもない理不尽さと無力感こそが、我々が目をそらすことなく直視しなくてはいけない現実なのです。
プレンダガストのように耐え続けても、ウィリアムのようにぶち切れても物事の解決にはつながりません。
まずはこれを自覚することから始めなくてはいけないのではないでしょうか。