挙げ句シャンシャンをかばおうとするリウにも攻撃の手を向けました。
でも多くの女性は彼女の中に自分もその立場だったら彼女のように振る舞ったかも知れない自分を見るのではないでしょうか。
リウをどう見ていたか
ルオランは最初リウをビジネスパートナーのように扱いますが、次第にリウ自身に引かれていったのです。
リウを手に入れるためにあらゆる手段を尽くす姿は切ないものすら感じさせます。
ビジネスそのものをもリウを振り向かせる手段に使うようになりました。
殺そうとした理由
シャンシャンをかばうリウに銃を向けるルオランは最早自分がやっていることを冷静に判断できる状況にはありませんでした。
愛憎という言葉がありますが、愛することと憎むことは同居します。場合によっては愛するが故憎むということもあり得ます。
相手を失うくらいなら殺してしまいたいと考えるのも愛情表現の一つなのです。
感情に走ってしまっているルオランには自分を止めることはできませんでした。
人魚の長老の婆さん
全編に登場する人魚の長老として登場する婆さん人魚は興味深い存在です。
廃船の中に掛けられている明時代の人魚と若い人間の男の絵は何を意味するのでしょうか。
何者か
婆さん人魚は明の時代ある人の働きで人魚が窮地を脱することができたと話します。
実は人魚と人間の共存を象徴するような掛け軸の若い人魚こそ婆さん人魚の若い頃の姿なのではないでしょうか。
一説には人魚は300年以上生きるとされています。であれば、明時代の人魚が現代に長老として生き残っていたとしても不思議ではありません。
シャンシャンと長老
明の時代に、ある人間の働きによって人魚が救われる話は、リウが本来の自分に目覚めて地球の環境を救うために私財を投げ出すことと重なります。
シャンシャンは未来の長老になるのではないでしょうか。
そして未来の掛け軸にシャンシャンとリウが並んで描かれることになるのかもしれません。
ラストシーンが意味するもの
映画の最後のシーンはファンタジーです。技術的な検証は止めましょう。
リウがシャンシャンと手を携えて美しい地球の海底を魚たちと一緒に戯れる。それだけでいいのではないでしょうか。
地球環境問題を前面に出して問題意識を喚起するラストシーンもあり得たかも知れません。
しかし、多くの香港映画ファンはこのラストシーンを支持するに違いありません。
アジア版【人魚姫】を素直に楽しもう
この映画が興行的に成功を収めた理由は力まないそのスタンスです。
ドタバタのお笑いが好きな人にもロマンスが好きな人にも楽しめる作品になっています。
地球環境問題という難しいテーマを扱いながら、決して深刻にならないようにバランスをとっているのです。
アンデルセンの本家人魚姫とは設定も結末も違えながら、毒薬やナイフなどの共通する小道具をそれとなく配置している演出も見事といえます。