何が恐ろしいかというと、これが無実な一般市民の仕掛けたテロだということでしょう。
単なる感情的な逆恨みだけで、このような悪事を計画してしまうのですから。
ヒーローが一般市民なら悪の側も一般市民であるというのが本作の面白い所です。
サリン
2つ目に、この毒ガスは水に弱いとされていたことからサリンの可能性があります。
サリンとは人工の毒として用いられ、有名どころだと地下鉄サリン事件が挙げられるでしょう。
合成することが出来れば、一般市民でも使用できてしまう危険な有害物質です。
流石に物質名に言及すると、映画として問題になりかねないから避けたというところでしょうか。
サリンは大体熱分解ないし加水分解によって、対策を取ることが出来ます。
そのことからも毒ガスの正体はサリンである説が濃厚です。
日常に潜む悪意
3つ目に、この有毒ガスは同時に「日常に潜む悪意」の象徴でもあるのではないでしょうか。
地下鉄サリン事件などもそうですが、こうしたテロリズムは突発的に起こるものです。
しかも大体それを起こすのはサイコパスでも何でもない普通の人であったりします。
ここから本作における「悪」がごく身近な、しかし見えにくいものだと分かるでしょう。
それが個人レベルで起こせてしまえるほどに巧妙化していること示しています。
好きや得意が武器になる
本作のラストの主題歌は「Super Hero」というタイトルの曲ですが、意味は何でしょうか?
ヨンナムもウィジュも決して社会人として上手く行っておらず、冴えない人達でした。
しかし、彼らは学生時代に好きでもあり得意でもあった山岳部の経験値があったのです。
それを生かして利他的な行動を起こした結果、彼らはスーパーヒーローになりました。
すなわち自分が心底から好きなことや得意なことを生かすことで英雄になれるのです。
逆にいえば、2人は下手な企業勤めなどをしない方がいい人材であるともいえます。
一般就職は無理でも、登山になれば途端に輝き出して上手く行ったのですから。
正に芸は身を助くということわざをそのまま体現した作品でありましょう。
生き方は1つではない
いかがでしたでしょうか?
本作は表向きよく出来たパニック映画として評価され、実際娯楽としての完成度は高いです。
しかし、その裏にはヨンナムとウィジュを通して生き方が1つではないことが示されています。
2人は会社勤めや一般企業で働くといったことが出来る人達ではありません。
それは表面的に見れば「社会不適合者」として片付けられてしまうのでしょう。
しかし、会社勤めや一般企業は数多くある人生の選択しにおいて1つの物差しでしかありません。
登山家としての経験値を積んでいたことが今回の毒ガステロで役に立ったのです。