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大戦後のフィンランドで、同性愛に気付いた実在の人物トウコ・ラークソネン(英名:トム・オブ・フィンランド)を描いた本作。
トウコが描いた作品は、アメリカや世界の同性愛者を勇気づける作品となり、トウコ自身もゲイ作品の新たなジャンルを切り開きます。
作品で気になるのが、同性愛が犯罪とされていた当時、なぜトウコは逮捕を覚悟しても作品を出し続けたのでしょうか。
また犯罪であるはずの作品に対して、アメリカはそれを受け入れ、ついにはトウコが新たな芸術家としての先駆者になります。
なぜアメリカでトウコの作品や表現に対して人気が出たのでしょうか。
今回はこの点について考察します。
犯罪で禁止されているのだけど…
第二次世界大戦後は、まだ同性愛に関する知識が現代以上に知られていません。
さらにヨーロッパやアメリカは、キリスト教が信じられている国々であり、宗教上においても同性愛は認められませんでした。
しかし、どんなルールや決まりでも「グレーゾーン」はあります。同性愛者が、法の範囲内で欲望を満たすものがありました。
ムキムキの半裸の男が載る雑誌
欧米の国々で、同性愛が禁止されているとはいえ、グレーゾーンは確実に存在します。
トウコもその一人であったゲイにとって、プロレス雑誌はその1つだったのです。プロレスにはムキムキの半裸の男が出演します。
当然プロレスファンにとっては、ただの趣味に関する本ですが、当時のゲイはこのような雑誌は欲望を満たすことのできる本でした。
というか、このような本でしか欲が満たされなかったのです。
つまりアメリカの中でも、禁忌であるとされながらも逃げ道があり、同性愛者にとっては少なからず欲が満たせる場がありました。
この土壌があるからこそ、トウコは作品を出しても大丈夫だと、母国フィンランドよりも思えたのです。
体格の良さ=戦う
トウコの作品は、非常に体格の良い、いわゆる「ムキムキマッチョ」が多く描かれました。
体格の良い男のイメージとして、プロレスラーに代表されるように「戦う男」がイメージされます。
これは、トウコが同性愛に対して「戦う」ことの決意の現れとも考えられ、実際にトウコは同性愛に対する無理解と戦いました。
つまりトウコの作風から、時代と「戦う」ことが読み取れ、それは法への「戦い」とも取れるのです。
共感・支援者がいる
共にゲイであり、トウコの恋人ヴェリ・マネキン(ニパ)を始めとし、トウコは孤独で戦っているわけではありません。
恋人だけでなく、自身の作品を有名にしてくれるダグもいました。
法律で同性愛が禁止されているとしても、やはりトウコのような同性愛者を支援する人々もいるのです。
そのような人々の支援を受け、孤独ではないことを感じることができたトウコは、時代や法と戦うことを決意しました。
支援者や共感者がいない当時のフィンランドではそうできませんでしたが、アメリカでは支援・共感する人々がいます。
だからこそ、逮捕される可能性におびえながらも、作品を出すことができたのです。
反抗・反逆する心
逮捕・暴行される恐怖は誰にでもあり、それはトウコにも当然ありました。