ですから、父親は何も悪くないのに一方的に昴が悪者に仕立てていたのでしょう。
そうしなければ、精神の平衡を保っていられなかったことが窺えます。
和解とトラウマ
2つ目に、この惨劇の後に起こる和解とトラウマに繋げていくためです。
ここで親子関係の軋轢は消えたものの、今度は由紀がトラウマを再発させます。
何のトラウマかというと、自身の左手の後遺症にまつわるトラウマでした。
由紀は敦子に対して祖母と母を偽り、目を背けて逃げ続けていたのです。
その逃げ続けていた過去が明確に迫ってきた証拠ではないでしょうか。
そう、全ては必然の如く因果応報として繋がっていくのです。
紫織がメールを送った意図
死を巡る本作の因果応報は最終的に紫織の投身自殺に落ち着きました。
ここで紫織が全員に遺書という名のメールを一斉送信した意図は何でしょうか?
遺恨
まず1つ目に、紫織はクラスメート全員に恨みを遺したかったのでしょう。
手書きの遺言書ではなく、無機質な電子メールの一斉送信というのがポイントです。
いじめられた仕返しに直接ではなく間接的な方法でという所が紫織の怖い所。
ペンは剣よりも強しで、言葉の力は暴力以上の暴力となることを証明しています。
少なくとも、いじめた相手からこんなことをされたら誰しもが怖がるでしょう。
それだけ罪深いことをクラスメートがしたのだということを示したかったのです。
敦子の鏡面
2つ目に、紫織はおそらく敦子の鏡面だったことを示しているのです。
紫織は敦子と同じように親友が居ながら、死の淵から救うことが出来ませんでした。
そうした過去のトラウマから由紀と敦子の仲を引き裂いてやろう画策したのです。
その結果が最後で全て裏目に出て父が逮捕され、その精神は拠り所を失います。
かといって、クラスのいじめから来る孤独に耐えられるほど彼女は強くありません。
紫織は正に暗黒面に陥った敦子というカウンターとして機能していたことが分かります。
敦子は最後の最後で由紀とまた親友に戻れたことが何よりの救いでした。
バタフライ効果
本作を考察していくと、確かに複雑で難解に思える要素が多いでしょう。
しかし、これら全てを「バタフライ効果」だと思えば、何も難しくありません。
ほんの少しの人間関係の力学の差で起こるズレによって、結果に大きな差が生まれます。
もし、敦子が紫織の苦しみや孤独を理解出来ていれば、自殺せずに済んだでしょう。
また、由紀が自分に嘘をつかず正直に生きていれば、もっと楽に生きられたかもしれません。
そしてその因果は全て人間の潜在意識が望むものが絡み合うことで生まれていくのです。
本作で描かれていることは特別に凄いことではなく、寧ろごく当たり前のことです。
それを複層構造として描いているから、本質がやや見えにくいだけではないでしょうか。