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主演フローレンスをエミリー・モーティマー、40年引きこもった本好きの老人ブランディッシュをビル・ナイが務めた『マイ・ブックショップ』。
ペネロピ・フィッツジェラルドの作品を、イザベル・コイシェが監督・映画化した本作は、書店が燃えるというラストを迎えました。
映画で最も謎なのが、ラストでクリスティーンが書店を石油ストーブで燃やした真意でしょう。
書店の店員でもあったのに、なぜクリスティーンは火を放ったのでしょうか。
さらにイギリスにある田舎町の有力者であるガマート夫人が、なぜオールドハウスに執着を見せるのかも気になります。
たかだか町の一角の店に、執拗にこだわりを見せる意図には何があるのでしょう。今回はこの2点について考察します。
書店の仕事を奪われた恨み
クリスティーンは、オールドハウスで働く10歳過ぎの少女です。
クリスティーンが放火をするのには、10歳過ぎのほど少女が抱いた強烈な恨みが背景にあるようです。
12シリング60ペンスの仕事
フローレンスと気が合うとはいえ、クリスティーンほどの年齢の少女が仕事をするというのは、普通ではありえないでしょう。
それだけクリスティーンにとっては、働かなければならないという状況なのです。
クリスティーンは、せっかく手に入れた仕事をガマート夫人に奪われたため、恨みを抱きました。
だからガマート夫人が、フローレンスを書店から追い出したとき、書店に火を放つのです。
フローレンスを奪われた
本嫌いのクリスティーンが書店で働いたのは、フローレンスを慕ったからです。
つまりクリスティーンが働く目的は、当然お金を稼ぐこともそうですが、フローレンスに会うことが一番の目的ということ。
嫌いな本に囲まれながらも、一生懸命に働くのはフローレンスのようになりたい、と思うからです。
結局ラストシーンで、数年後のクリスティーンが書店を引き継いでいました。
それほど思い入れのある場所であり、フローレンスという人物を慕っていただけに、それを奪われたクリスティーンは書店に放火するのです。
ラストナレーションがクリスティーン
映画冒頭やラストシーンで、ナレーションが入りますが、これは映画内のクリスティーン自身でした。
クリスティーンが書店を引き継いでいることが、火を放ったことにつながっています。
「オールドハウス」を守る
ラストでナレーションが、クリスティーンであることが分かった時、クリスティーンは書店を引き継いでいました。
つまりガマート夫人の横暴から、オールドハウスを守り通してきたということです。
少女のころのクリスティーンが書店に火を放つのは、ガマート夫人の手に書店が渡ってしまい、このままでは書店が奪われてしまうから。
ガマート夫人が、有力者らしく知識(法律)に物を言わせて書店を奪うのなら、クリスティーンは武力行使に入るのです。
書店の所有権について、大人と子どもの奪い合いが対比されたシーンでした。
ナレーションのジュリー・クリスティ
ナレーションを担当したジュリー・クリスティは、本作の重要な中心的役割を果たす『華氏451度』の映画版のキャストを務めています。
後述しますが『華氏451度』の内容は、本作と共通することが多く、映画版の両作のキャストも共通しているものがあるのです。