そしてこの愛の討論をメタ的にいえば、役者・平野紫耀橋本環奈の物語であるともいえます。

ラストの方になればなるほど、まるで役を忘れたかのような生々しさがそこに感じられるでしょう。

告白もエスカレートしていく内に、平野紫耀と橋本環奈という等身大の役者の素が見えてくるのです。

これは映画という文脈で見れば、「従属からの解放」という凄く重要なシーンになっています。

つまり、ここで2人は物語の役割から外れた「生身の人間」として描き出されているのです。

このオリジナルの告白大会は賛否両論ですが、何の意味もなく行ったわけではありません。

原作漫画やアニメと敢えて違うことを行い、独自の結末を描くことに成功したのだと推測されます。

2人のキスの真意

何とか体裁は取り繕い、2人は改めて生徒会長と副会長という形に収まりました。

ラストは藤原千花のいたずらにより、思いを認めてキスすることになったのです。

ここで描かれているキスの真意は果たして何なのでしょうか?

シンクロ

シンクロちゃん

1つ目に、2人の潜在意識がキスを通してシンクロしたのではないでしょうか。

御行もかぐやも愛の討論という名の公開告白でお互いの気持ちは分かっているのです。

だから、誰も見ていない2人きりの所でキスとして形にしようとしました。

体の触れ合いというのは言葉以上に相手の気持ちがダイレクトに伝わります。

キスする瞬間はどこか急に意識も時間も飛んだように感じられるものです。

2人の意識はキスをもって重なったのだと推測されます。

まだまだ素直になり切れていない

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しかし、一方でこの恋がまだ100%本物の愛に熟し切っていないことも示されています。

2人がキスをしたのは千花のいたずらによる不可抗力という名の事故だったのです。

つまり、自分たちが望んだタイミングでのキスではなかった所がポイントでしょう。

この辺りから2人は自分の気持ちに素直になり切れていないことが窺えます。

その証拠に2人は頭脳戦という名の子供のじゃれ合いを繰り返しているのです。

だから、このキスはまだ御行とかぐやにとって始まりではないでしょうか。

恋患いは病気ではない

3つ目に、かぐやの恋患いが病気ではないということを示しているのです。

恋患いが何故病気扱いされるのかというと、思考と行動が一致しないからではないでしょうか。

恋は魔物だといいますが、人間は元々感情の生き物ですから好きな気持ちは自然に生じるものです。

それを理性で押さえ込もうとしたり、気持ちとは反対のことをしたりするからややこしくなります。

かぐやは自分の気持ちを受け入れたことで恋患いがなくなり、一気に思考がクリアになりました。

したがって、恋患いという病気はなく、自分の気持ちに素直になればいいだけの話だったのです。

結論はとてもシンプルであり、それをやや込み入った形で表現しているだけでしょう。

2人の頭脳戦が拗れる理由

こうまで2人の恋愛が拗れるにはそれ相応の理由があり、きちんと物語の流れで説明されます。

改めて、あの愛の告白に至るまで何かとややこしくなる原因を具体的に挙げていきましょう。

周囲の目

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まず大きな原因として挙げられるのは御行もかぐやも「周囲の目」が気になるタイプだからです。

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