出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07QV6N38T/?tag=cinema-notes-22
2015年公開の『バジュランギおじさんと、小さな迷子』はボリウッド映画の枠を超え、世界中に評価された作品です。
インドとパキスタンの現状を隠すことなく描きだし、人々の願いを鋭く映し出しました。
少女シャヒーダーはなぜ最後に話すことが出来たのか、その言葉に隠された深い意味とは…。
また少女の言葉を受けたパワンの本心に迫っていきます。
インドだから製作出来た、といわれている社会風刺たっぷりの本作を深く考察していきましょう。
シャヒーダーが話せなかった理由
パワンたちが出会った少女シャヒーダーは、なぜ言葉を話すことが出来なかったのでしょう。
母親はインドデリーのニーザムッディーン廟へ連れて行こうとしていますが、ここはイスラーム教徒の祈りの場として有名です。
祈りをささげることで彼女の病気を治そうとしていたのでしょう。
発話障害を持っていた?
シャヒーダーは劇中で、生まれつき言葉が話せなかったと語られています。
生まれつきの障害というと、脳の発達障害が浮かびますがシャヒーダーは発達障害ではなさそうです。
また発話障害は声帯異常によって引き起こされる病気ですが、こちらもどうやら違っているように感じます。
シャヒーダーは失声症だった
おそらくシャヒーダーは失声症だったのではないでしょうか。
精神現象が身体症状と現れる変換症の症状のひとつ。主としてストレスや心的外傷などによる心因性の原因から、声を発することができなくなった状態
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/失声症
この映画の背景にはインドとパキスタンの紛争問題が影を落としています。
シャヒーダーが生れ育ったアザト・カシミールはインドからの爆撃を受け、その被害は民間人に及んでいるのです。
そんな環境で育った彼女は、大きなストレスを抱えていたに違いありません。
シャヒーダーが話せた理由
言葉を発することが出来なかったシャヒーダ―は、なぜラストシーンで言葉を口にすることが出来たのでしょう。
インド人であるパワンの優しさに触れた
パキスタンで育ったシャヒーダ―は、インド人は敵という環境の中にいました。
勿論幼い彼女にはあまり理解出来ていなかったことでしょう。
しかし、自分を毛嫌いするインドの大人たちに触れパキスタン人の立場を感じていたはずです。
そんな中、敵対しているはずのパワンが父親のように自分を守ってくれた…。
無意識に恐れていたインド人の存在が、愛おしいものに変わったのではないでしょうか。
彼女の言葉をせき止めていた不安要素がひとつ消えたのです。
ストレスからの解放
母親に再会出来た安心感は計り知れないものがあります。
その安心感が、これまでの不安感を吹き飛ばしたのでしょう。
母親との再会という大きな幸福がきっかけとなって、彼女の声が出たのかもしれません。
その幸福感には「必ず母親の元に届ける」というパワンの想いも詰まっています。
パワンを助ける人の姿を見た
旅の途中、彼女は憎みあっているパキスタン人とインド人が心を通わせる姿を目撃しています。