もしも書類の存在に早く気付いて変更手続きを行えば、日浅は営業ノルマを達成したのかもしれません。
津波の被害があったのは沿岸部であり、日浅は営業ノルマを達成するために赴きました。
営業ノルマが達成している状況であれば、彼は沿岸部に行くことなく、今野の近くに居続けられたのかもしれません。
この可能性に気が付いた今野は、自分が手を伸ばせる場所に居ながら彼を助けられなかったことに後悔したと考えられます。
契約変更の知らせ日時から日浅の生死を察してしまった
互助会の書類に限らず、書類には発行日時が印字されていることが多いです。
今野は前に届いた書類を確認した際に、発行日時を確認したのかもしれません。
前に届いた書類の発行日時が津波があった日から後であれば生きていて、前であれば生死は分からないと見ることができます。
生きている場合は日浅が生きていたことの安堵、生死が分からない場合は生きているか不安から出た涙ではないでしょうか。
結果がどちらであっても、今野にとっての日浅は心細い出向先で光を照らしてくれた唯一の友人であるため、彼は泣いていたでしょう。
釣り場で日浅の幻が現れた意味
物語最後に今野が釣りをしていた時、彼は日浅の幻を目撃しました。この幻には、どのような意味が込められていたのでしょうか。
考えられる要素としては、今野は3年経っても日浅を忘れられないでいるということです。
知り合いがいない出向先で1人だった今野の生活に色を出してくれた日浅は、彼にとって親友であり好きな人であったと考えられます。
日浅と関わる時間が長くなり、恋愛感情を抱くようになった今野は日浅にキスをするまで思いを募らせていました。
友人以上の感情を抱いたことがあれば、急に居なくなった日浅に対して心残りがあるのは無理もありません。
彼が死んだかもと考えてから3年経っても、釣り場で彼の姿を思い浮かべてしまうのは日浅に対する思いの強さだと考えられます。
日浅の生死の真相に迫る
物語上で日浅の生死は明らかになっていません。見え方によっては生きている、または死んでいる可能性が考えられます。
実際のところ、彼の生死はどうなったのでしょうか。それぞれの可能性について考察していきます。
生きている可能性
理由としては日浅の父と兄が、彼はどうしても生きていると断言している部分です。
2人とも日浅の人間性に嫌気があるように見えましたが、家族であるからか生きていることを信じようとしている節があります。
震災地の火事場泥棒の中に彼がいるかもしれないと日浅の父は確信しているので、生きている可能性は否定できません。
死んでいる可能性
日浅は営業ノルマを達成しようと必死に動いていました。
彼はノルマを達成させるため、休日返上で沿岸部に赴いて互助会に契約してくれる人を探しに行きます。