2人は決して法律に違反することを行ったわけではなく、自分に正直に生きただけです。
それが本心から出たものであれば、誰にも奪う権利はないからでしょう。
潜在意識の変化が現実を変える
2つ目に、潜在意識の変化が2人の現実を変えたからではないでしょうか。
自分の本心に蓋をした前半の迅と渚は潜在意識が後ろ向きで自己肯定感も低い状態でした。
そのような潜在意識で逃げ続けていたから、次々と辛く苦しい現実が立ちはだかります。
しかし、その潜在意識をプラスに変えた瞬間に彼らの周りの現実は少しずつ変わったのです。
少なくとも同性愛者として正直に生きていくことに対する負い目は完全に消えました。
意識を前向きに持っていけば、少なくとも自分の人生を前向きに好転させることは出来ます。
空の親権という代償
そして3つ目に、その覚悟と引き換えに空の親権という代償を払ったからです。
等価交換の法則として、何かを得るためには何かを失わなければならない現実があります。
渚は迅との同性愛という道を選びましたが、空の親権は手に入れられませんでした。
その喪失という重みがあるからこそ、2人の同性愛という決断が際立つのです。
全てが手に入るわけではないというシビアさも盛り込まれているのが非常に良く出来ています。
欲と思いやりのバランス
こうして見ていくと、最終的に大事なことは欲と思いやりのバランスであることに気づかされます。
本作の素敵なところは同性愛が世間に認められる過程を描いただけに終始していないところです。
世間から見た時の少数派としての人生を選んだ2人はその代償として数々の喪失をも経験しました。
自分のやりたいこと=欲を貫き通すには同時に相手への思いやり・優しさもまた必要になります。
渚は空の親権と引き換えに玲奈を思いやる優しさを示し、それと引き換えに迅との愛を選びました。
人は何かを失うことによって何かを得て、大人になっていく生き物であることを示したのではないでしょうか。
痛みなき所に得るものはなし
いかがでしたでしょうか?
本作は同性愛というテーマに対して見事な1つの解答を示してみせたといえます。
自分の心に素直に生きた2人の姿は決してその全てが順風満帆だったわけではありません。
同性愛という最も大事なものを得るために、他の欲しかったものを捨てることを決意もしました。
そしてそれに伴い数々の偏見や差別という非情な現実とも向き合うことにもなったのです。
何事においても痛みを伴わなければそこから得られるものは何もないことを本作は示してくれました。
しかし、それが自身の意思で行動した結果ならば責任も取れるし納得のいくものとなるでしょう。