しかし、上記の三角関係及び真弥と洋介の関係は体の距離は近かったのに心の距離は縮まりませんでした。
近くで一緒に暮らしていて好意があるからといって必ずしも恋愛関係に発展するわけではありません。
逆に近すぎるからこそお互いの長短が全て見え過ぎて幻滅することもあるわけです。
憧れと恋愛は別物
2つ目に、真弥と洋介の関係が示すこととして憧れと恋愛は別物であるということです。
真弥は洋介に対して人生相談に乗ってもらっていましたが、どこまでも「手の届かない人」なのでしょう。
そういう感情はある種の偶像崇拝というか相手を神聖視する姿勢から来るものです。
しかし、そういう感情こそが最も相手を遠ざけてしまう要因になってしまっています。
恋愛とはむしろ憧れよりはその逆の「共感」「親しみやすさ」から生まれるのです。
三角関係とはまた別の角度から描かれる鋭い視点の物語ではないでしょうか。
恋愛はあくまでも副産物である
そして3つ目に、恋愛はあくまでも副産物として自然派生したものでしかないということです。
テラスハウスに住んでいた人たちは全員個々の仕事や生活があり、そちらに比重を置いています。
真弥にしてもゆいちゃんにしてもまず自分の仕事で手一杯で恋愛の余裕がないのです。
この辺りは実に絶妙な形で恋愛の現実と理想の違いをメタ構造として取り込んでいます。
自分の生活に余裕が出来て、初めて男女の関係や趣味に打ち込むことができるのです。
本作で示された恋愛関係はその意味で非常に現実的かつ新しい価値観だといえるでしょう。
集団で恋愛関係が生じない理由
こうして見ていくと、本作はなぜ集団・組織の中で恋愛関係が生じないのかを的確に描写しています。
恋愛とは本来男女の1対1の関係性であり、決して集団の中に還元しうる関係性ではありません。
集団・組織は逆に1対多の関係性であって、個々の関係性は最終的に埋没してしまいます。
だから現実には集団・組織の中での恋愛など起こらないことが普通であり自然な関係なのです。
6人の中で誰1人恋仲に発展しなかったのは1つ屋根の下で共に暮らすという環境によるものでしょう。
あくまでもてっちゃん達は「同居人」以上の関係性が成立しないように出来ているのです。
恋愛至上主義の否定
いかがでしたでしょうか?
本作は映画というメディアを通してキッパリと恋愛至上主義を否定した作品です。
これまでの恋愛ドラマであれば男女が共に暮らす過程で恋愛関係が生じることもあったでしょう。
しかし、それは恋愛が美しいものだという幻想が信じられていたからでした。
本作はそれを様々なアプローチから多角的に描きつつ、一貫性をもって悉く否定しました。
またそれは恋愛に頼らずとも生きていけるという決意の表れだったのではないでしょうか。
確かに劇的な盛り上がりこそありませんが、「恋愛の現実」を自然体に描いた良作です。