しかし、その一方で本来の「生き物」「動物」というとても根源的な部分を忘れていたといえます。
生命の根源へと迫っていくためにはまず人間を人間たらしめる「理性」から解放する必要があります。
それを様々な専門家の見地から語らせることによって思考の枠を外していくのです。
森崎が追っていたもの
本作の主人公である森崎ウィンはアニメ「海獣の子供」でアングラードを演じていました。
その彼が今回6本のテープをヒントとして残し行方不明となります。
果たして彼は突然失踪してまで何に迫ろうとしたのでしょうか?
スーパー(ハイパー)進化
結論からいえば森崎が行き着こうとしたことはスーパー(ハイパー)進化といえます。
都会の雑踏から抜け出した彼は水中へ潜ったり海外へ行ったりと自然に回帰していくのです。
その中でどんどん人間としての理性が失われ野生の本能が強調されるようになります。
結果として終盤では彼の言動・行動は人間の理解を超えたものになっていくのです。
それは正に生物学者の長沼毅が仰るところのスーパー(ハイパー進化)かもしれません。
野生に回帰するのみならず生命の根源へと迫っていこいうとするのです。
新人類への進化
上記を更に具体化させるように、森崎はマーシャル島にてこのように発言します。
自分が光り始めている
引用:トゥレップ〜「海獣の子供」を探して〜/配給会社:Beyond C.
この台詞が彷彿させるのはアニメ「勇者王ガオガイガー」の獅子王凱ではないでしょうか。
彼は「光になれ」といってましたが、最終的にサイボーグを超えた新人類へ進化しました。
森崎はその凱が原作の最終回で果たした新人類への進化を果たそうとしたのかもしれません。
そしてそれは間違いなくアンチ・ポストモダニズムを実証しようとした結果です。
破壊と再生
このように見ていくと、森崎が迫っていたことは「破壊と再生」ではないでしょうか。
とても普遍的ですが生き方としては非常に破天荒な生き方であるといえます。
このような生き方の人を一般的には「殉教者」といいますが、森崎は正にそのタイプです。
自分自身が信じる「人類を超えて光になる」為に人間であることをやめていきます。
それは周囲の学者たちや世間一般からすれば理解の範疇を超えた危険行為であることは明白です。
森崎はそれを承知の上で尚人間がどこまで自分を破り捨てていけるのかを試したのでしょう。
この根底にあるチャレンジ精神という本来の生き方への回帰こそが森崎の成そうとしたことです。
学者の論と海獣の子供の繋がり
本作は「海獣の子供」の原作者である五十嵐大介氏と学者達がビデオを通して繋がりを持ちます。
果たしてここにはどのような意図があったのでしょうか?じっくり紐解いていきましょう。
「少女の成長」から「人間のルーツ」へ
本作が成そうとしたことは原作が描ききれなかったテーマの深掘りにあるといえます。
原作及びアニメの「海獣の子供」は少女琉花の夏の思い出という形式の成長譚として描かれました。
エンターテイメントとしては非常に綺麗にまとまりましたが、作品としては「個人」の領域です。
その「個人」の領域から脱して更なる「全」の領域に拡張しようとしたのが本作ではないでしょうか。
人類のルーツを辿ろうと思ったらその専門家である人類学者や生物学者に辿り着くでしょう。
学者たちの論と繋がりを持つことで「海獣の子供」が娯楽から学問へ派生していくのです。