2つ目に学者の論と「海獣の子供」が繋がることは同時に学問の根底を思い出させます。
それは「なぜ」を問い続けることであり、学問とは世の中の不思議な現象を解明する為のものです。
しかし、この高度な現代社会の中で学問はいつの間にか非常に高尚で難しいこととされていました。
そうなると結局は曲学阿世、即ち学問のために学問をするという自家撞着に陥ります。
そのような自家撞着ではない本来の学問の意義に原点回帰することを本作は可能にしたのです。
人間のルーツを辿ることは同時に学問のルーツを問い直すことにも繋がりました。
いつかは宇宙へ
そして3つ目に人類のルーツと学問のルーツへ回帰することでもっと高みを目指すことです。
それは地球を始め様々な生命体をこの世に誕生させた「宇宙」というルーツでしょう。
人類という概念すらも超越し「無」になることは即ち宇宙へ繋がることを意味します。
こうしてみるとやや宗教じみた怪しい行為に思えるかもしれませんがそうではありません。
自分が何者かを問い続けることは最終的に遠大な宇宙のテーマを問うことに繋がるのです。
そのアプローチを改めて行う時代が来ていることが学者の論と繋がることで明らかになりました。
人類解放宣言
考察を重ねていくと、本作が目指そうとしたものは実は相当奥深いものであるといえます。
それは何かというと森崎ウィンを通しての「人類解放宣言」ではないでしょうか。
まずは学者達の論を中心に7人のインタビューを通して「人類とは何か?」を問い直します。
その上で失踪した森崎ウィンが理性の喪失と引き換えに光となって新人類へ生まれ変わるのです。
それは同時にこれまで築き上げてきた文明社会の常識の破壊と新人類の再生ではないでしょうか。
正に時代の価値観が大きく変わろうとしている令和の今にこそ必要な行為だといえます。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作はもしかすると10年どころか100年先をも見据えた作品かもしれません。
今時代は「組織」から「個人」の時代へ移り変わろうとしています。
しかし、本作はその「個人」をより突き詰めて「全」と「無」へ行こうとしたのです。
正に現実と虚構の境目が意味を成さないような非常に真新しい試みだといえます。
これまでの人類を支えてきた基盤が令和に入り崩れ去ろうとしているのです。
それではこれから何を頼りにして生きていけばいいのでしょうか?
森崎ウィンと7人の専門家たちはそのことを受け手に問いかけています。
そうして問い続けた先にある「海獣の子供」とは我々人間のことかもしれません。
これからを生きていく人類にとって非常に革新的な意欲作となるでしょう。