これらの行為は何らかの象徴としての意味がありそうです。
ウランが捨てたスマホ
ウランが捨てたスマホは汚れた自分の象徴です。
彼女が街の半グレたちによってどのような世界に連れて行かれたのか容易に想像することができます。
多くの犠牲を払い自分を救いに来てくれたアトムに対して、ウランは汚れてしまった自分の象徴であるスマホを捨てることで応えたのです。
アトムの手にはウランのために買った新しいスマホが握られていました。
アトムが捨てたカウンター
ラップに目覚めたアトムはそれまでリズムをとるために使っていた通行量調査で使うカウンターを投げ捨てます。
ラップという手段によって彼の魂が解放された瞬間でした。彼は本当の意味で自分の言葉を見つけたのです。
それまで彼はカウンターが刻むリズムにすがって恐る恐る言葉を紡いでいました。
ラップの持つ力に目覚めたアトムは自由に自分の魂の言葉を引き出せるようになったのです。
汪の言い分
中国料理店主の汪は理不尽な現実社会をリアルに生きています。
一方で、まっとうな顔をして自分より悪いことをしている偽善者がいることを指摘して、自分を正当化しようともしているのです。
彼の行動や姿勢は当然非難されてしかるべきですが、彼は人間としての一種の荒々しいたくましさを体現しているといえなくもありません。
先輩山本の生き方
アトムや汪のような生き方はドラマの中では面白いですが、一般の人たちにとってはやや遠い存在です。
むしろアトムの職場での先輩である山本の姿に自分と似た部分を重ねる人も多いのではないでしょうか。
彼は自分の平凡さを理解しつつ、小さな出来事に一喜一憂しつつ日常を何気なく生きています。
アトムの非凡さを見抜く感受性は一応持ち合わせていて、さりげなくアトムの背中を押すのです。
彼はこれからも廃品のリサイクルなどもしながら、様々な人と出会い自分なりに生きていくことでしょう。
アトムのラップは魂の叫び
社会の底辺でひっそりと綱渡りのように生きてきたアトムたち家族に、社会は自己責任という身勝手な論理を押しつけてきました。
アトムは吃音症ということもあって、これらの圧力に為す術もなく悶々とした日々を過ごしてきたのです。
アトムの心の中にはこのような社会の暴力に反発するマグマが煮えたぐっていました。
彼はラップという自己を主張できるツールを見つけることができ、これを通じて彼の魂の叫びが溢れ出ました。
【WALKING MAN】は改めて自己責任とは何か、社会的責任とは何かを考えさせられる作品です。