これまで表面に出ることのなかったアトムの様々な思いがラップによって一気に解放されることになりました。

ラップは短いセンテンスの連続です。長い語りが難しい吃音症のアトムにとってラップは最適な表現手段だったといえます。

自己責任ということ

2019年画2種「ウォーキング・マンWALKING MAN」ANARCHY野村周平/優希美青/柏原収史/伊藤ゆみ/星田英利
アトムは社会が彼らに押しつけてくる自己責任という責任転嫁に向かってラップで痛烈に反撃します。

マジョリティによるマイノリティへの社会正義という名を借りた虐待に、マイノリティの側からラップという手段で反発したのです。

社会は自己責任論という自分たちに責任が及ばない都合のよい考え方を、いわゆる社会の負け組の人たちに押しつけます。

そこには反論を許さない強力なパワーがあるのです。

アトムのラップはこのような形で虐げられたた人々や、自分の表現手段を獲得できない若者たちに大きな共感を呼ぶことになりました。

家庭環境は自己責任か

貧困

人が自分の力だけでは変えられないものが幾つかあり、生まれてきた家庭環境もその一つといえるでしょう。

経済的な貧しさが原因で十分な教育機会が得られなかったり、持っている豊かな才能を伸ばすチャンスに恵まれない場合が一般に存在します。

自由経済と民主主義の国なのだから自らの努力で自らの環境は作るべきであり、家庭環境は自己責任の結果だと果たしていい切れるでしょうか。

ドラマの中でアトムたちの境遇を全て自己責任の結果だと切り捨てるソーシャルワーカーたちの言葉には、煮えくりかえるような怒りを感じます。

親は選べない

自分の親も子が自分では変えられないものの代表です。どのような親でも一生親子としてやっていくしかありません。

それを自己責任の範疇に入れてしまうのは如何なものでしょうか。

その子が必ずしも責任感のある親らしい親に恵まれない場合、それは一つの運命ではあっても、その子には何の責任もないのです。

親子の関係に自己責任を持ち込むのは基本的に間違っているといえます。

そもそも自己責任って何

そもそも自己責任論が持ち出されたのは社会的なコストを下げようという考え方が根底にあります。

自分のことは自分で始末を付けてもらわなければ、皆が迷惑することにつながるという考え方です。

これを突き詰めて行くと弱者は弱者のまま捨て置かれてしまいます。這い上がるチャンスすら与えられなくなる可能性があります。

社会的な自己責任論のプレッシャーの中で、いいたいこともいえずに沈黙を余儀なくされている多数の弱者の存在を無視してはいけません。

自己責任は何事かをなそうとする際、将来のリスクを覚悟する意味で使われるべきで、結果責任を負わすために使われるべきではないはずです。

生きていることには何の自己責任もなく、人はただ生きていていいのです。アトムはこの魂の叫びをラップという手段で訴えます。

川に捨てられたスマホとカウンター

person

このドラマでは終盤に二つの機器が川に捨てられます。ウランが捨てたスマホとアトムが捨てた通行量調査で使うカウンターです。

このエピソードにはそれぞれどのような意味があるのでしょうか。

サービス 月額料金 配信本数 特徴 詳細
hulu 1,026円(税込) 10万本以上 テレビアニメまで見放題 詳細
U-NEXT 2,189円(税込) 22万本以上 様々なジャンルが揃う 詳細
abemaプレミアム 960円(税込) 5,000本以上 オリジナルバラエティ番組が人気 詳細
NETFLIX 880円(税込) 非公開 オリジナル作品の質&量が魅力 詳細
prime video 880円(税込)/月
4,900円(税込)/年
1万本以上 コスパ抜群のVODサービス 詳細