それは彼女が以前に描いていた肖像画とは一線を画すものだったのではないでしょうか。
絵を描けなくなったアイナー
アイナーは繰り返し故郷ヴァイレの風景画を描き続けていました。
彼にとってヴァイレは特別な場所だったに違いありません。
画家は心で絵を描きます。もちろん描画テクニックはそれなりに必要ですが、最も重要なのは精神性なのです。
心の中身がリリーになってしまったアイナーは以前の画家とは全く異なる人格に入れ替わっていました。
そのようなリリーに以前のような絵を描けといっても、それは無理な話だったのではないでしょうか。
ゲルダの葛藤
アイナーとゲルダは互いに深く愛し合う仲睦まじいカップルでした。
二人とも画家という特殊な仕事を抱えており、相互に理解し合える関係だったのです。
ゲルダが愛したのはアイナーであり、見ず知らずのリリーではありませんでした。
つい最近までアイナーだった夫の中にリリーという新たな人格が首をもたげたことにゲルダはひどく混乱したことでしょう。
現実を受け入れるよう自分にいい聞かせながらも、ゲルダはリリー化しつつある夫の中にアイナーの存在を求め続けます。
でもそれは無理な要求だったのです。リリーの中からアイナーが完全に消え去るのは時間の問題だったのです。
最終的にゲルダはリリーをリリーとして認めることになります。
ゲルダは深くアイナーを愛していましたから、その対象が消え去ることには耐えがたい思いがあったはずです。
それでもゲルダはリリーの苦しみを理解し、支え続けました。素晴らしい人間愛がそこにありました。
そのようなゲルダ自身を支え続けたのは、やはりかつて愛し合ったアイナーとの充実した生活があったのではないでしょうか。
ヘンリクとリリー
自身の性認識(自分が男か女か)と性的指向(求めるのは男か女か)は本来別物です。
通常は自分の性認識とは別の性を指向しますが、全てそうなるとは限りません。
ヘンリクは男色家でした。自己の性認識は男でしたが、性的指向は男だったのです。
リリーとしてヘンリクの前に現れたはずのアイナーは、ヘンリクが女装したアイナーに興味を持ったことを知ることになります。
やがてヘンリクとリリーはお互いによき友人として理解し合う関係になっていったのです。
お互い通常の社会からは理解してもらえない心の中のギャップを抱えていたからでした。
トランスジェンダーの心理を描いた【リリーのすべて】
映画【リリーのすべて】は当時としては全く理解が得られなかったLGBTの現実と心の葛藤に切り込んだ問題作といえます。
近年では性認識や性的指向による差別化はむしろ非難される傾向が強まっていますが、当時は全く異なる環境だったはずです。
そのような中でリリーは懸命に自分自身であることを追求し、ゲルダは混乱しつつもそのようなリリーを支え続けました。
人は性認識や性的指向によってではなく、一個の人格として互いに尊重し合う関係になる必要があります。
それは人が肌の色や生まれで差別されるべきではないことと同じなのです。