ミランダは「父に会いたい」と語っていました。
ここに至るまで、乗組員の仲間達は他の仲間を生き残らせるために次々と犠牲になっていった。
この直前には、子どもが生まれたばかりの乗組員・ショウが犠牲となっています。
デイビッドはその姿を見ていたからこそ、会いたい家族がいるミランダを生き残らせるために自分が犠牲になる覚悟をしたのです。
地球に帰りたくない理由
デイビッドはもう長い間宇宙に滞在していることが語られています。また、本人も地球には帰りたくない気持ちがあることを語っていました。
想像するに、デイビッドは恵まれない家庭環境で育ったと考えられます。そのため、友人などとの関係も上手く結ぶことができなかった。
その分、ISSの家族同然とも言える仲間の存在は彼にとって大きなものだった。
その仲間が次々と犠牲になったからこそ、残されたミランダのために犠牲になる覚悟が固まったことは充分に予想することができます。
80億人のバカ
ディビッドが地球に住む人々を指して使った80億人のバカという言葉。
これは、万が一に備えてISSを犠牲にすることを考えていた地球人に対しての皮肉です。
そのようなことを考えていたということは、地球の人々は宇宙で未知の生物に出会う実験が危険なものであることを承知していた。
危険も、乗組員達の恐怖や勇気も何も知らずのうとうと生きている地球の人々。デイビッドはそんな人間達の元に帰りたくないと考えた。
デイビッドの覚悟は、ある意味では地球の人々を見限った末の決別とも考えられます。
「ライフ」を観終わったら「エイリアン」も
本作の宇宙船内で未知の怪物と乗組員が戦う物語は、名作「エイリアン」を彷彿とさせます。
「エイリアン」が地球から遠い宇宙を舞台としていたのに対し、「ライフ」は地球のすぐ上空での出来事。
カルビンを何としても地球に入れてはならないという政治的な駆け引きが、物語をより身近なものに感じさせます。
またCGがない時代の技術で作られたエイリアンの存在感、CGであるが故に縦横無尽に駆け回るカルビンの強敵感。
それらを見比べてみるのも、本作を楽しむ一つの方法です。
映画技術の進化を見比べてみると、様々な発見もあるでしょう。
本作を観た後は、是非名作である「エイリアン」もいかがでしょうか。