仮に誰かと知り合えたとしても、病気のことがわかれば一人の人間でなく病人として見られてしまう。
それは、普通の人間ならば当たり前に経験できることができなかったケイティには耐えがたいことでした。
まして、知り合った相手が幼い頃から恋焦がれていた相手なら尚更です。
やっと訪れた恋のチャンス。だからこそ、チャーリーにだけは自分を人間として見て欲しかった。
そのために、ケイティは嘘をついたのです。
人間関係にトラウマがあった
もう一つ考えられるのが、吸血鬼呼ばわりされた過去がトラウマになったということです。
過去の経験により傷ついたケイティ。その傷が、他人に対して知らず知らずの恐れを抱かせていたとしても決して不思議ではありません。
チャーリーに咄嗟に病気を隠したのも、深く自分を知られて吸血鬼呼ばわりされることを恐れたとも取れます。
無意識に、他人に自分のことを知られたくないという本能が働いた。
それは、昼に外に出ることができないという病気故の苦悩です。
母親が健在ならどうなっていたか
ケイティは早くに母を亡くしていますが、仮に母親が健在ならケイティの人生はどうなっていたでしょうか。
ケイティが荒れていた可能性
言うまでもなく、母親とは子どもを産む存在です。
そのため、もしも母親が健在ならケイティが「何故こんな身体に自分を生んだのか」と反発していた可能性があります。
丁度、ケイティの年ごろは親に反抗的な時期です。また、そのことが原因で両親の夫婦中も悪くなっていたかもしれません。
ケイティが外に出ることができるのは夜。もしかしたら、悪い仲間とつるんで人生を駄目にしていた可能性もあります。
強く結ばれた家族
逆に、母親という理解者があることでケイティはより強く前向きに生きていた可能性もあります。
母が不在のため、ケイティは愛情を注いでくれる父親との仲は良好でした。
父親もまた、全てにおいてケイティを第一に考えていました。
親思いのケイティであれば、母親のこともとても大切にしたと考えられます。
その信頼により、もしかしたらもっと早く恋に踏み出していたかもしれません。
チャーリーの心情
映画のラスト、ケイティのノートを読み解くチャーリーの心情はどういったものだったでしょうか。
幸せに感謝する気持ち
ケイティのノートに記された言葉。それは、チャーリーを想う気持ちに満ち溢れていました。
ケイティはこれまでの想い出を語ると同時に、チャーリーの輝かしい未来のことも考えていました。