物語の中の脳内会議でも表されているように、彼はこれまで頭の中であれこれと考えるばかりで決定的な一歩を踏み出す勇気を持ちませんでした。
彼はその夜に出会った東堂や事務局長、パンツ番長などとのご縁によって、そして何より成り行き任せの乙女を知ることによって変わりました。
乙女は「ラ・タ・タ・タム」を思い出すことによって幼い頃に失ったものをよみがえらせます。
それは意志でした。何事も成り行きのままに生きてきた乙女でしたが、何かを強く願う意志を持つことに目覚めたのでした。
二人のこうした変化はお互いに欠けていたものを埋める作業でもありました。
お互いに欠けていたものを自覚し、相手の中にそれを埋める力を見いだすことによって人の結びつきはより強くなるのではないでしょうか。
李白の役割
この物語では多くの登場人物が春夏秋冬の移りゆく季節の中で様々な出来事に巻き込まれていきます。
それぞれの人は互いにご縁で結びついていくのですが、その結びつきのゴールが乙女と先輩のハッピーエンドで、スタートは李白といえます。
李白との飲み比べこそが乙女をこの物語に入れる切っ掛けになりましたし、彼の古本収集が先輩を乙女に導いたのです。
他にも乙女と先輩の関係における触媒的な役割を持つ東堂も李白とつながっていることはいうまでもありません。
時間と孤独
この物語は乙女と先輩という若い世代だけを扱ったものではありません。東堂のような中年のオヤジ世代や還暦祝いの老人たちも登場します。
老人たちが登場する場面では時計が重要な役割を果たしているのです。
なぜ年を取ると時間が速く進むように感じるのでしょうか。
それは人生に残される時間が少なくなるからです。
無限の時間があるかのごとく感じる若いときには残りの時間を気にかける必要はなく、時間はゆっくり流れるのでしょう。
残された時間が少なくなり、時間の流れが速く感じるようになる老人に迫ってくるのは孤独という恐怖感なのです。
京都の町に蔓延った風邪は李白風邪です。この風邪は孤独を表しているのではないでしょうか。
この物語の中で最も孤独感にさいなまれていたのは李白で、彼の孤独感が関わる人々に伝搬していったのではないでしょうか。
【夜は短し歩けよ乙女】は一夜の物語ではない
この物語は一見京都の一夜の出来事を扱っているように描かれています。
でもなぜか一夜の中に春夏秋冬があり、それぞれの季節毎に奇妙な出来事が起こるのです。
ひょっとすると、この物語は人の一生を描いているのかも知れません。
人の人生にも季節があるといわれます。思わぬ出来事も起こるでしょう。
人はその一生の中で成り行きに任せたり、一生懸命計画したりしながら多くの人たちとご縁を重ねていくのではないでしょうか。
孤独はともすれば人から人へ伝搬しがちですが、人と人のご縁によるつながりによってのみ人は孤独から脱することが出来るのかもしれません。