それは外に出たがっていました。彼の防御が緩くなった一人のときにそれが表面化したのではないでしょうか。

これはある意味健全だったのかもしれません。

封じ込めた別の自己は少しずつ外に出してやらないと、いつしかそれが内部で肥大化し現在の自己に置き換わってしまうからです。

なぜ実体化したのか

ものに魂が宿ることはあるのでしょうか。

フヨウの場合は表面化した心の声が琵琶という楽器であり・武器でもある「もの」に宿り、実体化したのです。

ファンタジー故の展開といえばそれまでですが、物語の展開としては非常に面白いものになっています。

フヨウと人格を持った琵琶との掛け合いが楽しみです。

皇女の愛

愛

皇女がフヨウに示した愛の形をどのように理解すればいいのでしょうか。

愛する対象を自分のコントロールの下に置き、自由意志を許さない愛の形はとても持続可能なものとは思えません。

でも愛というものに持続可能性は必要なのでしょうか。

刹那に生きる愛もあっていいのかもしれません。

滅びの道筋が見える中で刹那の愛に溺れていく美学がそこにはあるのでしょうか。

母の愛

mother

人の母性愛は種族保存本能で説明可能でしょうか。

子供のためなら自らを犠牲にしても構わないという母性愛には自己陶酔以上のものが確かにありそうです。

自分の存在が最重要とする自己保存本能よりも、自分の遺伝子を未来に残したいとする種族保存本能が上回るものこそ母性愛なのでしょう。

フヨウの母の出自はこの物語の中では明らかにされていません.

彼女が自己の全て賭してフヨウを育てようとしていることは間違いありません。

母の価値観の下に育ったフヨウはその厳しい過酷な教育を、ただ「はい。」と受け入れていくのです。

少年から青年への成長を描いた【Thunderbolt Fantasy 西幽玹歌】

 [Amazon. Co. JP Limited] Thunderbolt Fantasy Dead One 劍 Bonus Original この物語を血湧き肉躍る活劇のファンタジーと捉えるだけでは不十分です。

確かにファンタジーとしての魅力は十分といえますが、一方でフヨウを物語の主人公として設定して意味も考える必要があります。

そうです。この物語は少年が青年へと成長し、自己を独立した存在として荒波にこぎ出していくことの意味を問うているのです。

一方で様々な形の愛の姿をも我々に見せてくれています。

それにしてもムツ人形の愛らしさは何ともいえません。

実写でもなく、アニメでもない人形劇としての魅力が十分表現されている作品といえます。