なんと羽原全太朗は植物状態だった甘粕謙人に脳外科手術を行ったのです。
脳神経細胞再生の第一人者でもあった羽原全太朗が助けるために行った手術でした。
しかし、この手術の後遺症によって甘粕謙人は未来を予測できる能力が備わってしまいました。
甘粕謙人はそれ以前の記憶を失い、突如姿を消してしまったのです。
1人目のラプラスの悪魔は、脳の再生手術によって想定外に誕生した存在だったのです。
彼は悪魔と呼ばれるにふさわしい立ち振る舞いで、実に人間の悪の部分を体現している存在です。
父親によって殺された母や妹の復讐を果たすため、さらに能力を使うようになります。
円華が事件解決のために能力を使うとしたら、彼は能力で自然現象人操って殺人事件を引き起こすなど犯罪に手を染めていきます。
まさに「ラプラスの悪魔」といえるでしょう。
ラプラスの魔女が誕生した理由
実は円華が探している友人こそが甘粕謙人だったのです。
さらに円華がラプラスの魔女として能力を備えた理由はとんでもなく身勝手な羽原全太朗によるものでした。
自分が行った手術により「ラプラスの悪魔」を作り出したことに感動した羽原全太朗。
今度は健常者に同じ手術を施したいと思うようになります。
そこでターゲットに選んだのが、甘粕謙人と仲良くなっていた円華でした。
後述する「タイトルに込められた意味」にもつながっていくのですが、実は円華も自らその能力を手にしたいと望んだのです。
そして同じ能力を持つ甘粕謙人によって悲劇の連鎖が始まってしまうのです。
能力を手に入れたばかりの彼女にはそのことはまだ予見できなかったのでしょう。
タイトルに込められた切なすぎる意味
ラプラスの悪魔の能力を手にして幸せだったのか?
この映画ではラプラスの悪魔という能力を中心に描かれています。
そしてこの作品にある1つの大きなメッセージは「不確実性があるからこそ人生は面白い」ということです。
甘粕謙人や 羽原円華のように、未来を完全に予知する能力は、あらゆる人生の面白さを失ってしまいます。
自分の未来を知りたいと思うけれども一方で努力で勝ち取った未来でないと、どんな良い結果でも面白くないのです。
最初から未来に起こるすべてのことを予測できてしまったら、知らなくて済んだことも知ることになります。
私たちの生きるこれからの未来がどうなっていくかを見えてしまうということ。
現実世界には知らなくてもいいことや、知らないで済むことも多く存在し、それを回避することが生きていく術を身に着けることでもあるのです。
回避するために考え、行動して未来を変えていくことの方が、私たちにとっては現実的です。
そして喜びや悲しみといった喜怒哀楽や幸福感なども未来を予見できないからこそ味わえる感覚なのです。
特に本作では、望んで能力を手に入れた円華の気持ちを考えると、後悔をしているようでもあります。
「これからの世界なんて知らないほうがいい」
引用:ラプラスの魔女/配給会社:東宝
小説の最後のシーンでもこのように言っている場面があり、知らないままではいられなくなってしまった自分自身の存在を嘆いているようでもありました。
本当の魔女のように人間とはどこか違う感覚を自分自身に抱いてしまう女性の悲しみが込められているのではないでしょうか。
全ての能力は善にも悪にもなり得る
今回は「ラプラスの悪魔」という定義に基づいて事件が絡み合ってきました。
そして同じ能力であっても、備える人によって使い方も違うというのが明確にわかるストーリーでもありました。
それと同時に人の欲望こそ恐ろしい悪魔を生み出してしまうというメッセージも込められていたのではないでしょうか。
自分勝手な価値観のせいで運命を大きく変えてしまった能力を持つ2人。そして彼らを取り巻く身勝手な人々。
そういう独りよがりな考え方こそ、ラプラスの悪魔の能力よりも恐ろしいのかもしれません。