一方で、「レプリカントから産まれた子どもを人間に示し次世代への扉を開く」と豪語する一派。
彼らも、秘密の漏洩のためにデッカードを殺せと命令しています。
Kは生み出されてから自分の記憶に悩み続けていました。
そしてやっとたどり着いたところでその記憶は別人のものだと言われ、挙げ句にその記憶をもつ本物の子を守れと命令されるのです。
命令され続け悩み続けた彼の人生に、彼は「自由意志」という人間らしい選択をしたかっただけです。
そして助けたデッカードを子どものもとへ連れていったのも、彼の自由意志を強く裏付けるシーンでしょう。
デッカードに違和感を覚えるのは…
デッカードに違和感を覚えるきっかけとなるのは、レプリカントのKにシリアルナンバーではなく名前を尋ねるところでしょう。
これはデッカードが前作の主人公であることに由来しています。
デッカードはすべてを知っている唯一の存在
前作でK同様ブレードランナーとして活躍していたデッカード。
彼はレプリカントながらレプリカントである女性「レイチェル」に恋をし、2人の間には子どもが産まれます。
この子どもが今作の中心人物です。
デッカードは「娘」の存在、レイチェルの埋葬、ウォリスの悲願、ブレードランナー側の機関の存在をも知っています。
そして「娘」を活用して人類の上へと立とうとするレプリカントたちの一派の存在も知っています。
彼はすべてを知っている唯一の存在なのです。
誰よりも人間らしい
加えてデッカードに違和感を覚えるのは、彼の人間らしさについてでしょう。
彼が「冒頭から誰よりも人間らしく描かれてきたKが驚くほどの人間らしさ」の持ち主として登場しているのです。
レプリカントを埋葬するときに箱に入れたり、花を供えたりする上に、酒を片手に昔語りをします。
最後には「守るためには他人でいた方がいいこともある」と発言します。
「守る」や「他人でいる」という感覚は、とても斬新なものでしょう。
レプリカントは元々「殺害兵器」であり「誰とも血は繋がらない」し、そもそも「人間ではない」からです。
しかし娘に会いたいと研究所へ駆け込んでいく様子は人間そのもの。
登場人物の誰よりも人間らしく描かれたというのが、観客にデッカードへの違和感を抱かせる大きな理由です。
終わりに
この作品が扱っているテーマは一見すると単純なようで、さまざまな要素が絡み合ってとても複雑になっています。
約3時間という長編になってしまったことにも納得できます。
AIが導入され、ますます技術革新が進む時代において「ブレードランナー2049」は公開されました。
何が人間にしかできないことなのかを見つめ直す機会として、この作品は現代に投じられたのでしょう。