背の低い決して美男とはいえないユダヤ系のホフマンは、これまでのハリウッドの文法には沿わないもの。
しかし、彼は見事に監督の期待に応えてみせます。
またミセス・ロビンソンを怪演し、ホフマンの演技を引き出したアン・バンクロフトの存在の大きさを忘れてはなりません。
暗喩がいっぱい
親の敷いたレールには乗らない
東部の大学を卒業したベンジャミン(ベン=ホフマン)は、まだ自分が何をするのか、したいのか分かっていません。
父は当然自分の会社に入ると決め込んでいます。
宙ぶらりんな気持ちです。卒業を祝うパーティーで客の一人から「これからの時代はプラスティックだ」という言葉を掛けられます。
「プラスチック」とは鉄に変わる石油化学時代の可塑的素材を指し、一見未来の柔軟性を指しているようにみえます。
しかし、この言葉は俗語として「ニセ、まがい物、人間味が無い」などの形容にも使われます。
ベンは客から掛けられたこの言葉から「大人の社会=まがい物」というニュアンスを汲み取ったようです。
ベンの両親は、彼がいずれ自分らの敷いたレールに乗ってくれるだろうと信じています。
しかし、彼は「別の他のもの(Something Different)」になりたいと思っているのでした。
まだそれが何なのかは分からないけれど。
ミセス・ロビンソン
そうした状況で登場するミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)はベンに対する大人・体制のメタファーに他なりません。
彼女は娘のエレーン(自由と”別の他のもの”メタファー)に接近するベンを止めるため、また自分がなし得なかったことの復讐のため、自分の肉体をもって誘惑します。
それは体制=安定のぬるま湯の甘美な誘惑・罠でした。誘惑に負けてしまうベンでした。
しかし、想いを寄せるエレーンに情事を目撃されてしまいエレーンとの決定的な別離が訪れてしまいます。
傷心のベンですが、エレーンへの想いはますます強まるばかりです。
エレーンの親(ロビンソン夫妻)が彼女に充てがった男(金髪長身のハンサムで医学生=体制・旧社会の象徴)と結婚が近いらしい。
ベンはこれをと聞くに及び、親元を離れエレーンの元に駆けつけます。
いよいよベンに独り立ちの時が近づいてきたのです。
誕生日の贈り物とプール
宙ぶらりんのベンが一番安心するのがプールの中。
まさに「地に足がつかない」宙ぶらりんな水の上は今の彼を象徴し、行方が定まらない無責任な心地よさを味あわせてくれる場所でした。
この映画ではベンの家の水槽など「水」が意識されるシーンが多いのにも気づくでしょう。
「水」はベンにとって安定の象徴。母親の胎内のメタファーと受け取れます。水槽の中の魚に自分を見ているのでしょうか。
そんなベンの誕生日に両親がプレゼントしてくれたのが全身を包むスーツと大きなモリ付きのダイビングセットでした。
水中メガネから見える世界は自由を束縛する大人の社会そのもの。
そして全身を包むダイビングスーツはベンを絡めて離さない、両親の思い、倫理のメタファー。モリは親の庇護の元で戦えという意味でしょう。
フィンで歩き辛いプールサイドから水の中に入ったベンには周りの声は聞こえず、彼は水の中から出ようとしません。
分かりやすい暗喩といえます。
ベンの服装にも注目
東部の大学を修了し、LAの実家に帰ってきたベンはボタンダウンのシャツにレジメンタルタイ。
絵に描いたような東部アイビーリーグのエスタブリッシュメントの雰囲気を醸し出しています。
一方、エレーンを追ってバークレイに着た頃にはクビを締めていたネクタイはなくポロシャツにアノラックとチノパンというラフな格好に変化しています。
これを見てもベンの大人の世界から、大人が決めた既成概念から抜け出たいという意思を感じ取ることが出来ます。
消えた笑顔
赤いスポーツカーと白いウェディングドレス
エレーンと金髪医学生の結婚式が行われると知ったベンは赤いスポーツカーで式場の教会へと急ぎます。