もし、彼のクルマがシトロエンやプジョーなどのフランス車だったらと考えてみるのも面白いでしょう。
しかし彼はフォードのドライバーですから、サーキットで運転するレーシングカーもフォードGT40だったり、フォードのフォーミュラカーだったりします。
ジャン=ルイのサーキットでのテストドライブシーンや実際の映像も使われています。
さらにル・マン24時間耐久レース、モンテカルロ・ラリーのシーンが異常に長いのでクルマに興味がない人は飽きてしまうかもしれません。
クルマに詳しい人は、レーサー(プロトタイプレーシングカーとフォーミュラカーとラリーカー)が混同・混在しているという指摘もしたくなるでしょう。
しかし、本作に出てくるクルマは第三の主人公ともいうべき多弁さなのです。
ジャン=ルイが瀕死の重傷を負うル・マンのシーンでは彼と元妻の経緯がカットバックされていきます。
加えてモンテカルロのシークエンスではレースとアンヌとのリアルタイムのモンタージュが進行します。
クルマが出てくるシーンが告げるもの
ルルーシュとしては、心惹かれる女性と出会って高ぶっていく男の気持ちを「動と静」、あるいは「硬いもの」と「柔らかいもの」で表現したかったかも知れません。
しかし、彼の趣味もかなり出ていたシーンということになるのだと感じます。
一方でクルマの出てくるシーンは出会った頃の車中、モンテカルロからアンヌの元へ走る車中も含め、たくさんの事を語っていることに気づきます。
モンテカルロからドーヴィルまで駆けつける時のムスタングはレースに使ったナンバー付きの泥だらけの「白い」ものが使われていました。
出会った頃は赤いクルマ。どこかに自殺した妻を引きずっている心情が読みとれます。
アンヌ(アヌーク・エーメ)から愛の告白を受けて長距離を走るクルマは赤い自家用車ではなく、白いレースカーでした。
心が無垢になり、アンヌの占める割合が増えたということなのでしょうか。赤いクルマはラストまで出てくることはありません。
画面の色彩の変化
カラー・モノクロ・セピア
本作では画面に様々な色彩が使われています。
カラー、セピア、モノクロ。モノクロもブルーがかったり、単純なモノクロだったりします。この色の使い分けに何か意味があるのでしょうか。
男と女の過去への拘りの有無でしょうか。過去と現在という時制を表しているのでしょうか。
アンヌとジャン=ルイの心の距離を表しているのでしょうか。車中は(雨のシーンが多い)モノクロでしょうか。
冒頭から色彩別に観てくると、ある一定の法則があるようで無いということに気が付きます。
前段で触れたような法則も打ち消されるシーンがあります。
制作当時、金が無かったルルーシュがカラーフィルムを買えず、一部をモノクロにした、という説もあります。
資金が無かったという怪我の功名だったかもしれない、この色彩の使い分けの効果。
ルルーシュに男と女の心象を表す「句点」のような働きをインスパイアしたと推察できるのではないでしょうか。
最大の効果的ポイントは
一番効果的に感じられたのは、ジャン=ルイがモンテカルロからパリのアンヌの元へ向かうシークエンスです。
パリが近づき電気ひげそりを出すところで例の音楽がカットインされ、画面が一気にカラーになるところ。
そしてアンヌと共に子どもたちを寄宿舎にあずけるところまでがカラーでベッド・インしてからまたセピア。
アンヌの脳裏に浮かぶ元夫の姿はカラー。その後ラストカットまでカラーに戻ることはありません。
この流れが色彩を使い分けた一番の効果的ポイントだったように思えます。
映画音楽の重要性
サンバ・ボサノバの魅力も
冒頭では本作を「映像と音楽とロケーション」の幸せなマリアージュという表現をしました。
大胆にいえばセリフを極力排した映像と音楽の抒情詩、とも受け止められます。
映画を観終わった後に”シャバダバダ”の歌声がループする人は多くてもセリフを覚えている人は多くないのではないでしょうか。