協力者の羽場が潜入調査のために逮捕されるという失態はあってはならないのです。
そして協力者の安全を守れない日下部に協力者を扱う資格はありません。
確かに人間関係において信頼はなくてはならないものです。しかし家族のように心を通わせた彼らは、協力者の範疇を超えています。
正義を履き違え、暴走した日下部。協力者の安全を守れなかった罪の意識と悲しみを自分の中で消化出来なかったのでしょう。
受け止めきれない感情の矛先を公安に向けるのは簡単です。
ですが正義という言葉を使いながらも、その行為は犯罪以外の何物でもありませんでした。
協力者②橘境子
風見の協力者である橘境子は公安に人生をコントロールされているのではなく自分の意思で動いているのだと叫びます。
守る=監視
公安には協力者を守らなければならないというルールがあります。
一見素晴らしいようにも思える言葉ですが、実際は協力者を監視下に置くという意味と同じではないでしょうか。
協力者にだって自分の人生があるのに、個人の尊厳や考えを無視した公安のやり方に橘が怒るのも分かります。
解放された後の橘に風見が教えた羽場の居場所。
風見は親切心で教えたのかもしれませんが、彼女にとってはまだ人生をコントロールしてくる傲慢な人間に見えたのでしょう。
羽場への恋心も…
こんなにも公安を憎んでいるのは恋人を殺されたからだけではありません。
もしかしたらこの恋心も公安が仕掛けたものだったかもしれないと思ったからです。
行動だけでなく心までも掌握されていたとすれば彼女の人権を完全に無視しています。
そしてそれに気づかぬまま無罪の毛利小五郎を有罪にしようと目論んだ彼女は自分で自分を許せなくなったのではないでしょうか。
協力者③コナン
安室も公安なので協力者を扱っていてもおかしくはありません。
作品中で明言されていませんが、コナンは安室の協力者として今回描かれているのではないでしょうか。
安室は毛利小五郎を逮捕すればコナンが事件に巻き込むことができると計算していました。
コナンと安室はお互い分かっていながら盗聴し合っていたはずです。
彼らそれぞれの正義の形は違いますが、事件の解決という利害が一致しました。
無罪の毛利小五郎を容疑者にするという違法行為をした安室ですが、後始末をきちんとするところはさすがです。
これが本来の公安と協力者の関係なのでしょう。
「ゼロの執行人」のテーマ
本作のテーマは「正義とは一体何なのか?」というところに集約されています。
正義とは何のために、誰のために執行されるのでしょうか?
それぞれの正義
今回の事件は警察と検察の組織的な対立、つまり「内輪もめ」といえる構図です。