事件に向きあわず顔をださなかった篤にたいして、ほんの少しの怒りを感じていたのも事実です。
しかし、実際に貴船を刺したのは啓太であったことから誰よりも責任を感じていたことでしょう。
この嘘の影には篤を守りたいという想いもあったのではないでしょうか。
篤が刑事になったのは間違い?
篤は過去に犯した過ちに蓋をして逃げ、涼子へ対しての罪の恐怖から逃げるために刑事になりました。
刑事を選んだことは間違いだった
刑事になれば、涼子(罪)への恐怖から逃れられると思い込んでいた篤ですが、そんなことは出来ないと気が付きます。
悟が殺されお前を疑った時に刑事になったのが間違いだと気が付いた
引用;追憶/配給会社:東宝
刑事になっても25年前の事件の恐怖から逃げることは出来なかったのです。
しかも刑事であるがゆえに大切な親友を疑うことになってしまいました。
逃げる為に刑事を選んだことは間違った選択でした。
刑事になったことは間違いではなかった
劇中篤は悟の殺害事件を通して、自分の過去とまっすぐに向き合い涼子に会いに行きました。
涼子への恐怖心は消え、篤はもう自分が刑事である必要はないと判断します。
25年もの間目を背けていたことも、涼子から愛情を受けることができ救われています。
荒んでいた篤の心が満たされ、この時逃げることも強くいることももう必要ないと悟ったのでしょう。
刑事になったからこそ過去と向き合い乗り越えることができたのです。
篤が刑事になったことは決して間違っていなかったのです。
雪割草に込められたメッセージ
涼子が好きな花である「雪割草」ですが、これを涼子は店の名前にも使用しています。
雪割草の花言葉として、信頼、期待、和解、自信、内緒、悲痛そして少年時代の希望などといった意味があります。
この花言葉それぞれが、この映画『追憶』の中で描かれていることを集約しているようにも見えます。
雪を割って顔を出す雪割草のように、過去に蓋をして生きようとせず、向き合わなければならないのではないでしょうか。
まさに「追憶」の切なさが残る映画
人の追憶にはどこか切なさが残るものです。
この映画は正義でもなく悪でもない、大きな「愛」がテーマになっています。
涼子の記憶が消えたことは篤にとって思いもよらない救いになったことでしょう。
聖母マリアのように演出されたラストシーンをどう解釈するかは観る者に委ねられているようです。