チェイニーもリンから愛されたい、認められたい一心で彼女の手のひらで踊り続けます。ボンクラ夫も次第に権力と富に覚醒してくことになります。
しかし父ブッシュの後を狙って大統領選に進もうとした時、次女メアリーが同性愛者であることをカミングアウト。
強気のリンも流石に宗教保守の共和党内では指名を受けることは困難と見、チェイニーは父親として次女を愛しているという立場から大統領選を諦めます。
ここまでが映画の前半です。ここでマッケイはエンドロールを流すといういたずらを仕掛けます。
この辺り「SNL」出身のマッケイらしい演出です。これで終わればチェイニー一家もメデタシメデタシだったのですが、そうは行きません。
リンが「あの酔っぱらいのボンクラ」と見抜いた子ブッシュからの電話で後半が幕を開けます。
フライ(疑似餌)が表現するもの
アングラー(釣り師)としてのチェイニー
チェイニーの趣味は渓流のフライフィッシング。
それがあるのか、内実を知ってのことかは分かりませんが、シークレットサービスが彼に付けたコードネームが「アングラー(釣り師)」でした。
映画では「フライ(疑似餌)」がチェイニー(と妻リン)の行動背景のメタファーとして有効に使われています。
要するに自分側に「釣り上げる」という意味合いです。
フライフィッシングは相手との騙し合いであり、それにはかなりの知恵が必要なはずです。これを操るのが覚醒したチェイニーと、妻リンという訳です。
最も効果的に使われていたのは、大統領戦に出る子ブッシュからの副大統領候補への立候補要請の電話でのシーン。
父の跡を継いで大統領職に就くことだけが目的のボンボンであることを知ったチェイニーとリンは、子ブッシュを「釣り上げ」て自分の意のままに操れると見抜きました。
スローモーションを使いながら、子ブッシュがまんまと「疑似餌で釣られて」いく様子がこのメタファーでよく理解出来る表現となっています。
SNL出身のマッケイが創る世界
難しいことをコミカルに
本作で描かれる政治の世界は時として理解しづらいものがあります。
マッケイ監督はこれを「SNL」で鍛えられたクリエイターらしく風刺の効いたコメディの要素を入れて良い意味での軽さと分かりやすさを演出しています。
縦軸として効果的に使われていたのがナレーションを務める架空の一般市民カートという男でしょう。
彼の正体は最初は見えていませんが、イラク戦争に招集される兵士として画面に登場、恨み節を披露します。
そして終盤では自動車事故で死んでしまい、その心臓がチェイニーに移植されるというギャグが描かれます。
これは真実ではなく、創作ですが、カートにしてみればイラクに行かされた上に心臓を提供しても、チェイニーからは感謝すらされません。
むしろ彼の延命にチカラを貸してしまったわけです。「最悪だろ?」と言いたくもなります。
映像面での工夫も
他にも、先に触れた映画の途中で流れるエンドロールとか後述するホンモノのエンドロールの後の一幕。
チェイニーとリンの関係を「マクベス」になぞらえて、突然セリフがシェイクスピア調になったり。
このような政治劇の重さを軽減する工夫(一方でこれらが風刺となる)が見られます。
脚本も書いたマッケイ監督は上記の事柄や役者のカメラ目線のセリフなど、観客を離さず風刺の効いたコメディタッチの演出の中にアメリカの闇を描いてみせたのです。
また先述の「疑似餌」だけでなく、ホワイトハウス内での高く積み上げられる食器を意識させるカットを挿入しています。
これは9.11のワールド・トレード・センターや「バベルの塔」の暗喩としています。