映画では、筋が通らない主張をする相手に対して噛みつく姿勢はそのまま描かれていました。
しかしそれ以上に、困難を自分の中でどうにか収束させられないかと苦しみ、葛藤するような人物という印象がありました。
一方、原作では相手に噛みつき啖呵を切る姿が頻繁に描かれているのです。両者はかなり印象が異なりますね。
映画化にあたっていくつものエピソードを削り、人物描写も最小限にとどめている本作。
いわば原作に穴が空いてしまっている状況です。ではなぜ物足りなさを感じないのか。
その理由は、穴を埋めるだけでなくそこに新しい花を植えているからです。
小説に負けないぐらいに登場人物の心情を克明に描き、穴を埋めています。
更にそこに苦しみや葛藤といった試練を与え、それを打開させることで美しい花を咲かせているのです。
これにより、登場人物が小説よりも深みのあるキャラクターとして印象づけられるのでしょう。
沢田の支えとなる妻
映画では、リコール隠しや社内の権力闘争に翻弄されながらもクールな印象を手放さない沢田。
原作では周囲の言葉に心が揺れる様や決して冷徹ではない姿がしっかりと描かれています。
その一つは車を作るという純粋な夢を持っていること。そしてもう一つは妻の言葉に影響されやすいということです。
映画では沢田は離婚しており、妻は登場しません。一方原作小説では妻帯者の設定です。
妻・英里子は、沢田の葛藤を見守りながら「正しい道に進んでほしい」という想いをさりげなく伝える人格者。
沢田は基本的に利己的な人間ですが、英里子の助言が心の奥の良心を思い起こさせ、その度に心情が揺れ動きます。
この設定を知ると、映画で描かれている沢田の姿に新たな解釈が生まれますね。
井崎の詳細な内面描写
井崎はホープ自動車の命運を握る重要な役どころ。映画では出番が少なかったですね。
会社の経営体制に批判的で、小説ではかなり辛辣なセリフを吐くキャラクターとして描かれています。
顔色を変えないまま心中では常にホープ自動車に毒づいており、同社のぬるま湯体質にほとほと嫌気がさしています。
映画に比べると感情の起伏が分かりやすく描写されている人物です。
真のプライドの重さ
『空飛ぶタイヤ』には、「プライド」という言葉が何度も登場します。
赤松の闘いは仕事熱心な社員を誇りに思っています。
「事故の再発を食い止めることで被害者に報いる」という人間としての自尊心が原動力となって行動しています。
沢田は「一流企業の社員」という思い上がりから中小企業を見下していました。
しかし最後にはうぬぼれという誤ったプライドを捨てて、メーカーとしての被害者に対する責任を全うしようとしました。
井崎は「正しい融資でない限りは通さない」というバンカーとしての信念を貫きます。
また刑事の高幡は、捜査方針の誤りを認めることを「プライドを捨てた」と表現しました。
裏を返せば、偽物のプライドを捨てて被害者のために真相究明するという「真のプライド」を持ったことにほかなりません。
それぞれの仕事に対するプライドは、小説・映画ともに作品を貫く主柱となりました。
闘う男たちの物語に重みと深みを与えているのです。