皮肉なことですが、物議を醸すような拷問のシーンの存在が本作品のリアリティをより一層高めています。
マヤの流した涙の意味とは
本映画のラストシーン。本国に送還される飛行機の中で主人公マヤは一人涙を流します。最期にマヤが流した涙の理由とは何だったのでしょうか。
マヤの流した涙は虚しさによるもの
ラストシーンにマヤが流した涙、それは恐らく虚しさによる涙でしょう。
マヤはビンラディンの暗殺に10年間という時間を公私共に捧げてきました。
ビンラディンを憎み、犠牲になった人々や仲間のために毎日ビンラディンに復讐することだけを考えて生きてきました。
それがビンラディンを殺しても何も変わらなかったと実感したとき、マヤに虚しさが去来し、込み上げる涙になったのだと思います。
復讐を果たしても、怒りも憎悪も消えず、やり場のない思いだけは残る、死んだ仲間も人々も戻ってくることは決してないのです。
パイロットの問いかけ
あんた大物なんだな。こんな飛行機貸し切りなんて。でどこに行く?
引用:ゼロ・ダーク・サーティ/配給会社:コロンビア映画
このラストシーンのパイロットの何気ない問いかけにマヤは思ったでしょう。本当に自分はどこに行くのか、どこに向かっているのかと。
この問いかけはマヤだけに対してのものではありません。
映画を観ている人に対しても同じように問いかけています。
答えの出ない問いかけと、汲めども尽きない虚しさは、マヤの胸中にいつまでも残り続けるのでしょう。
復讐の連鎖
連綿と続いてきた復讐の連鎖。本作品は復讐の連鎖の一部をスッパリと切り取って観る人の目の前にボンと置き『これが復讐の連鎖です!実感してください!』と言っているような映画です。
ビンラディンへの復讐がもたらすものとは一体何なのでしょうか。
ビンラディンが消えた世界は平和になったのか
本映画最後の「どこへ行く?」という問いかけ。それは映画を観ている世界中の人々に対する問いかけでもあります。
ビンラディンを殺害して世界はどこに行くのか?平和になったのか?それを問いかけているのです。
本作で復讐は遂げられましたが、それが何を産んだのかを私たちは見ました。
復讐が産んだもの、それはイスラム国の台頭です。
ビンラディンが死んでも世界は平和になりませんでした。復讐を成し遂げても、それは形を変えた新たな復讐を産んだだけでした。
復讐の連鎖は止まらない
復讐は本当に恐ろしいものです。
本人が復讐はなにも変わらない、無意味なものなのかもしれない、とどこかでそう感じていても心がそれを止めることを許しません。
やり場のない怒りと憎悪は復讐を後押しします。
その根の深さ、コントロール不能な感情の渦、歴史として繰り広げられるあまりにも巨大な復讐の連鎖に人の無力さを痛感させられます。
パレスチナに起因する復讐の連鎖は本作冒頭のアメリカ同時多発テロを引き起こす要因になりました。
千年以上という途方もない歳月が紡ぐこの復讐の連鎖は誰も止めることができず、永久に続いていくのかもしれません。
2019年現在ではビンラディンの息子が新たなアルカイダの指導者に台頭したというニュースもあります。
本作の訴える復讐の連鎖は確実に続いています。
とても恐ろしい悪夢のような現実です。私たちは本当にどこへ向かっているのでしょうか?本作品には考えさせられます。