この時代の悲恋物語には結核が多く登場しています。
肺結核は美しい展開とされていた時代
「ムーラン・ルージュ」はクリスチャンが代表するようにボヘミアン革命の真っただ中です。
自由奔放な生きかたを追い求めるボヘミアンですが、このボヘミアン革命が起きる前の物語では肺結核による死は美しい設定であると相場が決まっていました。
2001年に監督が、当時の風潮を蘇らせたのかもしれません。
ボヘミアンであるクリスチャンは結核に気が付かなかった
それまで小説で頻繁に用いられてきた肺結核という展開は、ボヘミアン革命が起こると途端に使われなくなります。
クリスチャンは近くにいたにも関わらず、サティーンの病気に気が付きませんでしたが、彼が結核の症状を詳しく理解していなかった可能性が挙げられます。
もしクリスチャンがボヘミアンな生き方をしていない作家だったら、結核について詳しい知識を持っていたかもしれません。
肺結核という病気
サティーンが命を落とした結核とは「結核菌」が引き起こす病気です。
結核菌は主に肺に炎症を引き起こし組織を腐らせます。菌が増えるとやがて高級を困難にしたり内臓の機能をマヒさせてしまう怖い病気です。
他感染があり、映画のように隔離されないというのは現実では考えられません。
なぜサティーンは愛を選んだのか
本編では当初お金が何よりも大切だといっているサティーンが登場します。
彼女は次第にお金より大切なものは「愛」であると考えを変えていきます。
実はお金をとるか愛をとるかというのは、世界中の女性間で幾度も議論され答えが見つからない話題です。
お金があれば幸せという考え方と、愛があれば幸せという考えに二分しています。
劇中のサティーンは、娼婦としていき「愛」を知らない女性でした。自分が愛されているということを知り人を愛することを知りました。
美しい宝石に囲まれたサティーンにとって、お金は空虚なものに映ったのかも知れません。愛されることで自分の存在を実感できたのでしょう。
劇中では、死を目前した時に人は「愛」を叫ぶものだと強く投げかけています。
華やかな悲恋が物語る真実の愛
「ムーラン・ルージュ」はこれでもかというほど華やかな、そして夢幻の世界を舞台に繰り広げられています。
現実ではない舞台、サティーンは娼婦という空虚な人生の中に「愛」という真実を見つけます。
愛に生きた男女の悲恋のストーリーは、生きて人を愛せることがどんなに素晴らしいかを教えてくれる作品です。
狂おしいほどの愛とは何か、サティーンとクリスチャン双方の立場に立って何度も観返したい映画です。