一方で、ロナルド・レーガン、ゲイリー・クーパー、ウォルト・ディズニー、エリア・カザンらは告発者として協力しています。
またジョン・ウェイン、クラーク・ゲイブルらも赤狩りを支持していました。
ハリウッドも密告と疑心暗鬼に包まれた不幸な時代で、その傷跡は長く続きました。このことは映画の題材として何本も製作されています。
エリア・カザンは後年、オスカー名誉賞を受賞し登壇すると、会場から大ブーイングが起きたことでも知られます。
マロー対マッカーシー
テレビジャーナリズムの良心
マローはラジオ時代のCBSに入社し記者として活躍。
第二次世界大戦では「This is London(こちらロンドン)」というリポート番組を担当しました。
特に「ロンドン大空襲」の優れたリポートでその名が知られるようになりました。
戦後テレビの時代になると、火曜ゴールデンタイムの硬派の調査報道番組「See It Now」(生放送・30分)を担当。
その質の良い取材に基づいたフェアで的確なコメントはテレビ黎明期にあってマローを全米の人気アンカーマンに押し上げていきます。
彼が番組を終わるときにいう締めのセリフが映画のタイトルになっています。
作品中にも何回も登場する「Good Night&Good Luck」(おやすみなさい、幸運を)という言葉がそれです。
作品は1953年、マッカーシーと右腕の若手弁護士コーンの赤狩りの手が軍部(空軍)に伸びてきたところから動き出します。
ある予備役中尉が「父親が反政府的だ」という内通だけで軍が事情も聞かず彼を除隊勧告をした、というのです。
このところのマッカーシーのやり方を苦々しく思っていたマローとプロデューサーのフレッド(ジョージ・クルーニー)。
二人は仲間たちとマッカーシーの民主主義に反する、正式な司法手続きを踏まない告発のやり方に異を唱えます。
そして不当な人権侵害だとする番組を制作し放送しようとします。
軍部の圧力と経営の姿勢
マローのCBSテレビが空軍の問題を扱うという情報を聞いた大佐二人がCBS本社にフレッドを訪ね、暗に放送を中止するように要請します。
フレッドが拒否すると彼らは脅しのようなセリフを置いて去っていきました。
一方、CBSの全責任を負う立場のペイリー会長は大手スポンサーのこともあり、マローとフレッドを呼び出して意見を聞きます。
が、「経営は編集に口を出さない」、マローに対しては「今日も明日も君の味方だ」と放送に暗黙の了承を与えます。
この辺りの経営の覚悟も素晴らしいと感じます。(その後の変化していく過程も描かれますが)
放送は大きな反響を呼びます。
視聴者の多くがマローを支持しました。
第二弾の番組内ではマッカーシーの考えや、やり方を指弾、一方で彼に対して、放送に対して反論があれば機会を作る、と語りかけました。
しかしマッカーシー側からはしばらく何の音沙汰もありません。
次の日の朝刊ではNYタイムズが放送を絶賛します。
片やワシントン・ポスト紙は酷評を掲載し、中でもマローの盟友キャスター、ホレンベックをマッカーシズムの視点から攻撃するような内容でした。
彼(共産党シンパ系新聞社からの移籍)はその後、ガス自殺へと追いやられます。
直接対決
杜撰な論理と下品な言動
マッカーシーのやり方を糾弾した第二弾について、マッカーシーは取材フィルムでの反論をしてきました。
案の定彼はマローを共産党と関わりがあったという根も葉もない噂、あるいは事実の曲解で攻め立てて来ました。
マローは次回、マッカーシーの反論に更に冷静に反論。世論はもちろん議会にも大きなインパクトを与えることになります。
マッカーシーとコーン弁護士は公聴会で軍部にも無茶苦茶な手段で手を突っ込んできました。
このため、全米に生中継された公聴会で遂に彼らはその証拠能力の無さ、手続きの無視と、品位を欠く言動を責められることになります。