彼は1人目の警官に襲いかかった際、その男の顔にいきなりかみつきます。
一見、バカげた行為に見えますが、猟奇的なその攻撃は相手に心理的ショックを与えて非力にさせます。
さらに顔を傷つけることは、後のなりすまし犯行をも可能にさせます。その顔は同僚の警官でも見分けがつかない程でした。
それによってレクターは警官になりすまして救急車に乗り、逃亡に成功したのです。
この殺害犯が被害者になりすまして現場から逃げるという手法は、今に至るまで世界中の犯罪映画でさまざまな形で用いられています。
クライマックスの巧みなミスリード
終盤、バッファロー・ビル事件に当たるFBIの捜査は、クロフォード率いる大部隊とクラリスの単独行動の2つに分かれます。
最初の犠牲者の近所を捜査していたクラリスは、クロフォードから真犯人が見つかったので現場に急行しているとの報告を受けます。
彼はFBIの主任捜査官であり、その犯人像はレクター博士が提供した情報とも合致していました。
一方で、クラリスの方はただレクター博士の哲学的な助言に従っただけのアドリブ捜査でした。
そのため鑑賞者の多くはクロフォードの突入先にバッファロー・ビルがいると思わされてしまいます。
クロフォードの部隊とビルの自宅内での動きがシンクロする進行も、その先入観を強めさせます。しかし、実際はクラリスが当たりを引いたのです。
訪問先の家のドアが開き、彼女がビルの姿を見たとき多くの鑑賞者は「こっちだったのか」と震え上がったことでしょう。
この巧みなミスリードがサスペンスの緊張をより高めたのだといえます。
メインテーマ
『羊たちの沈黙』における核心的なシーンは、クラリスとレクター博士の最後の面会です。
そのほんの数分間の会話の中に映画の最たるテーマが凝縮されています。そしてそれは人間というものに対する深い洞察を与えてもくれます。
First principles, Clarice, simplicity
クラリスが羊にまつわるトラウマを話す前に、レクター博士はバッファロー・ビル事件に関する貴重な助言を彼女に与えます。
レクターが最も強調したのが、「First principles, Clarice, simplicity: クラリス、最も本質的なことはシンプルだ」ということでした。
彼は、何がビルを殺人に駆り立てているのか聞きます。そこでクラリスは怒り、社会的な屈辱、性的抑圧などと答えます。
レクターはそんなものは二次的だと否定し、「Covet: 熱望」だと答えます。そしてこの熱望が、毎日見ている対象から生まれていると伝えます。
クラリスはこの教えに従い連続殺人事件の原点に戻って事件を解明しました。
この最も本質的なものが極めてシンプルであるということは、逆説的でありながら真実的でもあります。
レクター博士の魅力はまさに、こういう一歩深い洞察力を持っていることにあるでしょう。
誰もが有する狂気への熱望
熱望から狂気は生まれるとも取れるレクター博士の言葉はテーマとしても息づいています。
レクターはこの助言を口にした際、クラリスに「君も日々男たちの熱い視線を受けている」と指摘します。
これは映画全般に渡って演出として組み込まれています。
冒頭で大勢のFBI職員と共にエレベーターに乗った際、紅一点のクラリスは周囲から注目されます。
殺人事件の被害者宅に行った際は、地元の大勢の警官たちからも視線を浴びます。つまり熱望とは、普通の人たちの中にもあるのです。
その点では誰もがバッファローー・ビルやレクター博士と変わりません。
連続殺人鬼を人間扱いしない風潮は世界中どこにでもありますが、この映画のテーマはそれを否定しているといえます。
羊とガ:2つの対照的なメタファー
この映画では羊とガという2つのメタファーが対照を成して1つの統一感を生み出しています。この2つについて解説します。
羊が意味するものとは
羊のメタファーはクラリスの幼少期の恐怖体験に基づきます。