この群像劇ではスーパーマーケットにいる普通の人々が不安と恐怖でパニックに陥り、正気を失ってゆく様が丁寧に描かれています。
スーパーマーケットにいる人々はごく普通の一般人ですが、やがてカーモディという扇動者を信奉して、殺人まで犯すようになります。
人々はなぜ扇動者のカーモディを信奉したのでしょうか?人々がカーモディを信奉した理由を見てみましょう。
扇動者カーモディの誕生
霧に覆われ、不安にかられる人々の前に現れたのがカーモディでした。
もともと不安定だったカーモディは、霧に対する不安と恐怖で心のバランスを失います。
信心深かったカーモディは事態の原因を聖書の黙示録と結びつけ、この世界の終わりと考えるようになります。
そして自分がスーパーマーケットにいる人々を導くことで救われると妄想を抱くようになります。
スーパーマーケットの人々を扇動するカーモディ
民衆の不平不満を巧みに操り、民衆を扇動する人物を扇動者といいますが、カーモディはまさにこの扇動者でした。
カーモディは言葉巧みにスーパーマーケットの人々の不安と恐怖につけ込んでいきます。
最初はカーモディの荒唐無稽なこじつけ宗教話を相手にもしなかった人々。
ですがスーパーマーケットが怪物に襲われ死者が増えてゆくと、不安と恐怖に押しつぶされカーモディの言葉を信じるようになります。
むきだしの恐怖にさらされると、人はどんなことでもする。解決策を示す人物についていってしまうものなんだ。盲目的に。
引用:ミスト/配給会社:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
デヴィッドの仲間ダン・ミラーの言葉です。
この言葉通り人々はカーモディを信奉するようになりました。
人々は不安と恐怖、そしてカーモディの巧みな言葉により、カーモディ教の信徒となり果てたのです。
『溺れる者はわらをもつかむ』ということわざがあります。
人間は解決できないようなあまりにも大きな障害に遭遇すると、なんにでもすがるという意味のことわざです。まさにこの状況のことでしょう。
なぜ人々は宗教を求めたのか?
『信じる者は救われる』という言葉がキリスト教にあります。
イエス・キリストを信じることによって、心の中の不安や恐怖、困難から解放されるという意味の言葉です。
スーパーマーケットの人々は宗教にすがることで、ただ不安や恐怖から逃れたかっただけなのかもしれません。
人々に宗教を信じ込ませた張本人であるカーモディにしても同じでしょう。
誰も信用せず、ただ神に祈ることしかできないカーモディがすがれるものは宗教しかなかったのです。
カーモディは、巧みな演説を用いて人々を扇動しました。
第二次世界大戦のナチス・ドイツやカルトと呼ばれるような宗教が、民衆を洗脳するのに用いる演説と同じ手法です。