出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07S63X31Y/?tag=cinema-notes-22
2011年公開の『白夜行』は東野圭吾原作の推理小説が元になっています。
韓国映画や舞台、ドラマなどで数々上映される人気作品です。
猟奇的な生き方ともとれる雪穂の言動が話題となりましたが、彼女はなぜ亮司を「知らない」と一蹴したのでしょう。
雪穂の持つ闇と亮司の闇には、どんな違いがあるのか……。
タイトル「白夜」は一体何を指しているでしょう、名作『白夜行』を徹底考察していきます。
雪穂はなぜ亮司を「知らない」といったのか
本作のラストシーン、雪穂の言動が様々な憶測をよんでいます。
彼女はなぜ「知らない」と一蹴したのでしょう。
保身の為
端的に考えれば、亮司との関係性を切ることで警察の手が自分に及ぶのを防ぐためと考えられます。
自分のブティックがオープンし人生が軌道に乗っている雪穂は、今の自分の生活を壊したくないはずです。
亮司が死んでしまった今、自分の犯した罪は全て消え去ったと考えたのでしょう。
積み重ねてきたこれまでの努力を失わない為にも、亮司を知らないと告げたのです。
彼女はこれから先、警察に追われることはないでしょう。
憎んでいた為
深読みすると、雪穂は尋常な思考ではありません。
亮司を沈まぬ太陽としながらも、彼の存在に縛られていたとも考察できます。
亮司は自分に力を与える存在であり、同時に罪を犯させる存在だったのでしょう。
事実、亮司がいなければ雪穂は巧みに罪を犯し続けることは出来なかったはずです。
無意識下で彼と離れたいと思っていたのではないでしょうか。
だからこそ、三枝の腕をとった雪穂はうっすらと笑みを浮かべたのです。
彼との絆がそうさせた
雪穂の精神を通常のものと考えると、見方は変わってきます。
亮司は雪穂を守るために死を選びました。
彼の想いをくみ取った雪穂は、あえて彼を知らないと一蹴したのでしょう。
自分が幸せになり、彼の想いに報いようとしたのです。
共に殺人を犯してきた二人には、友人関係や恋愛関係などと一言で表すことのできないような心の深い所での繋がりがあったとも考察出来ます。
全てから解放された微笑み
雪穂の最後の微笑みには一体どんな意味が隠されていたのでしょう。
上記で考察したように亮司が死んで、全てから解放されたという気持ちがほほえみに現れたのではないでしょうか。
安堵感のほほえみ
亮司は雪穂にとって大切な人ですが、彼女にとっての大切とはイコール自分の味方ということです。
親に見放されて育った雪穂は、人に愛されることも知らなければ人を愛することも知りません。