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1973年に公開された『スティング』は、1936年の世界恐慌時のアメリカを描いています。
スタイリッシュなクライム・ムービーで、ギャングが横行していた時代をリアルに描いているのも魅力です。
本作は暴力に頼らずにラストを迎えていますが、その結末から読み取れるメッセージとは一体どのようなものでしょう。
巧みな騙しあいの世界で、嘘をついていなかった人物は一体誰なのか、血を観ない復讐劇の深層を考察していきます。
暴力に頼らない結末が語るもの
本作品は殺された恩師ルーサーの敵を討つというストーリーですが、相手を殺すような話ではありません。
クライム・ムービーでありながら、暴力を一切省いた理由は何だったのでしょう。
暴力を封印した時代背景
本作の舞台となった1936年のアメリカは、世界恐慌の影響が色濃く残って暴力と血に喘いでいた時代です。
この時代の詐欺師たちは、暴力を封印し敵を自らの詐欺の腕前でやり込めることを「粋」とする風潮がありました。
『スティング』はまさに、この時代の粋な詐欺師たちを描いた作品なのです。
ゆえに殺人への復讐が敵の死ではなく、50万ドル(現代では約10億円)という大金になったのでしょう。
暴力を非難するメッセージ
本作が公開されたの1973年は、ベトナム戦争の終結が宣言された年です。
アメリカ国内では1960年代後半からべトナム戦争に対する反戦運動が激化していました。
この映画も、戦争や暴力に真っ向から異を唱えるものではないでしょうか。
殺人や戦争など、何度も同じ過ちを繰り返している人間たちに向けたメッセージが内包されていたのです。
殺人の連鎖のむなしさ
恩人の敵討ちは日本でも美談とされ、忠臣蔵でも語られています。
しかし忠臣蔵で見るように、例え敵討ちだとしても人を殺すことは罪なのです。
殺された側は、また憎しみをつのらせ次の殺人へコマを進めるでしょう。
殺されたら殺し返すという考えは、愚かな人間の証といえるのではないでしょうか。
ここで、ひとつ疑問が湧きます。
フッカーとゴンドーフは詐欺師であり、詐欺は罪です。
劇中では痛快に復讐劇が描かれていましたが、血が流れなければ悪ではないといいきれるのでしょうか。
血が流れない復讐劇は悪?
劇中でフッカーとゴンドーフは、悪人であるロネガンに痛快な復讐を遂げています。