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思春期の微笑ましい時代を描いた「耳をすませば」を観ると、自分の思春期と重ねて懐かしさやほろ苦さがよみがえってくる人もいるのではないでしょうか。
「耳をすませば」はスタジオジブリが制作し1995年に公開された映画です。
それまでスタジオジブリをアニメーターとして支えてきた近藤喜文が監督として手がけた最初で最後の作品となりました。
「耳をすませば」は一つの少女マンガが原作となった作品ですが、設定を大幅に変更したことがさまざまな効果をもたらしておりメッセージ性のある映画に仕上がっています。
今回は「耳をすませば」のラストシーンでのセリフに込められた意味や映画での設定変更がもたらした効果を徹底解説していきます。
原作マンガ「耳をすませば」
映画「耳をすませば」は1989年に「りぼん」で連載された柊あおいの少女マンガ「耳をすませば」が原作となっています。
少女マンガ「耳をすませば」との出会い
原作である「耳をすませば」はその当時読者からあまり支持されず、4回で連載が打ち切られてしまった少女マンガでした。
休暇中の宮崎駿監督が映画のネタを探そうと姪の少女マンガ雑誌「りぼん」に目を通していたところ、柊あおいの「耳をすませば」に興味を示したことが映画制作へのきっかけとなりました。
信じられなかった映画化
4回しか続かなかった連載マンガが宮崎駿監督の目に留まったことから映画化の話を聞いた柊あおいは非常に驚きました。
また柊あおいは宮崎駿監督のファンだったこともあり自分の作品ががジブリ映画として世に出ることが信じられなかったようです。
原作マンガと映画の違い
原作マンガ「耳をすませば」を映画化するにあたり数多くの設定変更が行われました。
月島雫を始めとする学生の学年が原作では中学1年生ですが、映画では中学3年生に変更されています。
その他にも以下のような設定変更が行われています。
天沢聖司の将来の夢
原作で天沢聖司は画家になることを夢見ています。
映画ではバイオリン職人になるためにイタリアへ留学するという具体的な目標がありそれを実現しています。
雫の姉:月島汐の設定
雫の姉である汐は原作では温厚な性格の高校生ですが、映画では妹に少し厳しく気の強い大学1年生となっています。
また一人暮らしを始めるなど自立心が高い一面も持ち合わせています。
月島家と母親の設定
原作で月島ファミリーが住んでいる場所は一軒家ですが、映画では団地に変更されています。
また雫と汐の母親は原作では気の強い専業主婦ですが、映画では現実主義の社会人大学生として描かれています。
原作からの設定変更が映画にもたらした効果
原作は少女マンガということもあり、現実よりも理想が上回る主人公を中心とした夢見心地のラブストーリーとなっています。
映画「耳をすませば」では上記のような設定変更が行われ、理想だけではないさまざまな現実味のある設定が加えられたことにより映画にリアリティーがもたらされています。
そこにはどのようなメッセージが込められているのでしょうか。