当然、絵を仕事にと志しているし、ディエゴとの幸福な時間の合間にも絵を描いていたことでしょう。
特に劇中では彼女が受難するたびに絵画作品が生み出されています。
フリーダにとって絵画とは
ただし、ただ記録だけするのでなく、自身のその時の心を投影する場所でした。
例えば自分の考えを整理したり、傍から見てみたり、一度表に出すことで何らかの安堵あるいは決意や覚悟などをしていたように推測できます。
さらに言えば精神統一のような自己整理・自己消化的な役割もあったのではないでしょうか。
彼女の絵画へ傾ける情熱のルーツは事故後に絵を描き始めたことだからです。
事故後のフラストレーションを発散させるために、唯一自由の利いた手を用いて絵を描くーー。
彼女にとって、そのルーツは大成したその後も、最期の瞬間まで同じだったのでしょう。
描くのはいつも自分
フリーダの作品は、ほとんどのものに彼女自身の自画像が入っています。
彼女は、自分が一番よく知っているのは自分で、だから自分を描くのだと語っていたそうです。
フリーダの絵から放たれる力強いメッセージは、フリーダの壮大な人生を、最も理解している彼女自身が表現した結果から生まれています。
作中では夫ディエゴの元妻ルペの自画像を描いたシーンがありました。
前妻と同居しているという何とも奇異な状況で納得がいかなかったフリーダは、ルペとの間に確執を生みました。
その確執が解消され良き友となった時、あるいはルペのおかれた状況を理解した時に、彼女の自画像を描いたのです。
あのシーンでルペを描いていたことは、自分と同じくディエゴに翻弄されるものの、彼を見放すことができないという同じ感性を持つ女性だったらこそ。
ルペの自画像もフリーダ自身をルペに投影させた結果だったのではと考えることができます。
このエピソードから、彼女の持つ感性の強さを感じますが、同時に彼女が描いているものは、いつも自分なのだと、より深く推測できるのです。
本来の「戻りたくない」という言葉
英文では下記のように記されています。
I hope the exit joyful and I hope never to return
引用:フリーダ/配給会社:ミラマックス
映画の日本語字幕では下記のように訳されています。
出口が喜びで満ちているといい、私は戻りたくない
引用:フリーダ/配給会社:ミラマックス
「exit」の意味
英語のexitは、出口という意味で使われることがほとんどですが、フリーダの最期に関してはどうでしょうか。何かの暗喩であるとも取れます。
「exit」自体に「出ていく行動そのもの」という意味があります。