ザンパノは自分の感情を分析したり、コントロールしたりするのがとても苦手です。
その不器用さが本作の叙情性を高めており、観るものに切なさを感じさせているのでしょう。
質問に答えなかったザンパノの苦悩
劇中、ジェルソミーナがザンパノの気持ちを聞き出そうとするシーンは、観客が彼女と思いを共有しながら答えを待つことになります。
自分の気持ちを把握していなかった
少しは私のこと好き?
何故、私と一緒なの?
私は醜いし、料理も何もできないのに
引用元:道/配給会社:イタリフィルム,NCC
上記のセリフが示すようにジェルソミーナはストレートに感情をさらけだしています。
ザンパノは自分の気持ちと素直に向き合ったことがありません、だから即答することが出来なかったのです。
彼はこの時初めて、ジェルソミーナのことを好きなのかもしれないと意識したのではないでしょうか。
苦悩ゆえ僧院の銀製品を盗めといった
今は、二人は夫婦みたいね
考えたことねえよ
引用元:道/配給会社:イタリフィルム,NCC
上記の会話を交わしたのちザンパノは銀製品を盗めと指図しており、非常な男という印象を受けます。
勿論、単にお金が欲しかったという理由も考えられます。
しかし、深読みするとザンパノは現状の生活が壊れていくのを怖がったのかもしれません。
ジェルソミーナを愛してしまえば、今の生活は変化していくことでしょう。
男女の情が湧けばいつか彼女は離れていくかもしれない……、そんな気持ちがよぎったとも考察出来ます。
今の関係を維持するために、ザンパノはジェルソミーナに盗みを命じたとも考えられます。
彼はジェルソミーナとの現状に居心地の良さを感じていたのではないでしょうか。
「道」というタイトルが指し示すもの
本作は人間の孤独や排他的要素を強く感じる映画です。
それぞれが一緒に居たい、寄り添っていきたいと強く願いますが、彼らの道はひとつになることはなく、それぞれの道を歩んでいくことになるのです。
道は人生であり、運命でもあります。
決して悪人ではないザンパノと、素直なジェルソミーナが同じ道を歩めなかったのはなぜか。
観る者は人生の道について何度も考えをめぐらすことになるでしょう。
そして劇中に登場する雄大な海は、人の一生の出来事は儚いものだということを暗示するようでした。
不器用な生き方を描いた作品
本作では感情を上手く言葉に出せないザンパノと、知的な障害を持つジェルソミーナが描かれています。
そんな不器用なふたりの言葉を超えたコミュニケーションが映像で詩的に表現されていました。
フェリーニの傑作ともいわれる本作は、見るほどに味が出る作品ではないでしょうか。