実は名前がある登場人物の名前を縦書きにすると、全員左右対称になっているのです。
先述した島の唄に当てはめると、彼らは変わらぬ者であると考えることもできます。
しかし、作中では由貴が南田を刺し殺していますし、土田も自殺しているので、変わらぬ者であると考えるのは難しいです。
よって、登場人物の名前については、脚本家の遊び心である可能性が高いと考えられます。
赤い服の少女は誰だったのか
人魚像の言葉と並んで、謎として残っているのが、作中に登場する赤い服の少女が何者なのかについてです。
彼女については、ファインダー越しに真一も見ていることから、単なる由貴の妄想では片づけられません。
彼女はいったい何者なのでしょうか。
作中では語られない正体
作中では、赤い服の少女の正体について語られることはありません。
描写からわかることといえば、由貴だけでなく真一も目撃していることから、由貴の妄想ではないということです。
さらに、由貴の視点では英夫と一緒にいることが多いことから、死人に関係している可能性があると考えられます。
正体は人魚?
1つだけヒントとして作中で描かれているのが、真一が集めていた取材資料です。
そこには、赤い衣を着た人魚の資料があります。
つまり、赤い服の少女の正体は人魚であると考えることができるわけです。
しかしこの赤い服の少女、本作では存在感が薄く、正直いてもいなくてもストーリー上の問題はありません。
なぜそんな人物をわざわざ登場させたのでしょうか。
実は原作では、人魚は敵である闇霊たちの「母胎」として重要な役割を担っており、最後にはラストボスとして君臨します。
物語の中核にいる存在であり、原作をプレイした人からすると、「サイレン」は人魚の物語なのです。
原作を知る人に対して、本作を「サイレン」として認知してもらう為に、象徴的な立ち位置で登場させたのだと考えられます。
2回目は見方が変わる作品
「サイレン」はホラー映画としては、伏線回収が雑なこと、謎が解かれず放置気味であることから、評価が高いとはいえません。
しかし、キーポイントとなるサイレンについてや「鏡」に対する表現などはしっかり描写されており、見ていてとても興味深いものです。
1回目は真相を知らないため、どうしても由貴の目線で見てしまいますが、2回目以降は島民側の視点で見ることもできます。
謎を振り返りつつ、別の視点で楽しむため、今一度「サイレン」を見てみましょう。
1つの作品で2度楽しめるのは、ホラー映画のお得なポイントですね。