ひとまずマリアンヌを残してヴァルモンはパリに戻ります。
マリアンヌの事を尋ねられるも、泣くからまだ別れを切り出せないというヴァルモン。
それでは…と、ヴァルモンに代わり、マリアンヌに別れの電報を打つジュリエット。
これまであくまで冷静に振る舞っていたヴァルモンですが、遂に怒りの感情が溢れ出てしまいます。
そしてさらにダンスニとの逢瀬に出かけようとするジュリエットに対し、直接抑え込みにかかるのです。
ジュリエット:「野暮になったのね。彼女のせいね」
ヴァルモン:「ダンスニに会いに行ったら戦争だ」
ジュリエット:「いいわ戦争で」
引用:危険な関係/配給会社:セテラ・インターナショナル
本物の愛に目覚めてしまったヴァルモン
ジュリエットの行動はこれまでとまったく変わりません。以前のヴァルモンなら楽しそうに共犯者に興じたでしょう。
しかしヴァルモンはもう本物の愛に目覚めてしまいました。
自分の子を宿すセシルをさらにどん底へ突き落そうとするジュリエットに対し、怒りと嫌悪感をむき出しにします。
ヴァルモンは変わってしまったのです。
2人の戦争とその結末
2人はセシルとダンスニを使って代理戦争を行い、結果ダンスニに殴られたヴァルモンは頭を打って死んでしまいます。
事件となり捜査が始まったので、彼から届いた手紙を燃やすジュリエット。
しかし誤って自分にまで火が燃え移ってしまい、顔に大やけどを負ってしまうのでした。
ジュリエットが毅然と顔を上げるラストの意味
冒頭でこの映画をジュリエットの主観で観るようにとお伝えしたのを覚えていますか?
これをもしヴァルモンの主観で観てしまうと、本物の愛に目覚めた主人公を悪い妻が邪魔をしたという解釈になってしまうのです。
そうするとラストの裁判所のシーンで、ジュリエットはむしろ屈辱や恥じから顔を隠して出てくるのではないでしょうか。
ジュリエットは人からどう思われようと、ヴァルモンとの関係に誇りを持っていました。
今よりも女性の地位が高いとはいえない1950年代のこと。
ジュリエットは仕事面でも夫を助けつつ、夫の自由な恋愛を許し、自分も自由に他の男性との関係を楽しんでいたかったのです。
作中では、いわゆる『女性らしさ』を否定し、欲望や感情のまま自由に生きる姿が終始描かれていました。
だからこそ、それを認め尊重するヴァルモンと信頼し合いお互いに絆を育んできたのでしょう。
例えその関係が周囲の不幸の上でしか成り立たない様な関係であったとしても、ジュリエットはそれらを踏みにじっても前に進むしかなかったのです。
ラストシーンでセシルの母親がジュリエットを見てこう言います。
「ごらん 顔に心が表れているわ」
引用:危険な関係/配給会社:セテラ・インターナショナル
火傷によって見る影もなくなってしまったジュリエット。それでもジュリエットは毅然と顔を上げます。
自分の思う通りに生きてきた事への代償を、自身が恥じる必要は無いと考えているからでしょう。
ジュリエットは最後までブレずに自分の生き方を貫いただけなのです。
早すぎた傑作と称される映画『危険な関係』ですが、確かに今にも通用する見ごたえのある映画だと思いませんか。