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映画「王様と私」は1956年に制作されたアメリカ映画です。
元をたどれば1860年代に生きたアナ・リオノウンズの自伝を基盤にして作られています。
この映画はアカデミー賞を受賞し世界中の舞台で上演されるなど、不朽の名作として人気を博しています。
しかし「王様と私」を深く知れば、少々厄介な問題点も浮上してくるのです。
タイの物語でありながら、タイでは上映禁止となった理由は史実の虚偽によるものだった……?
問題視された真実の歴史を徹底解明していきましょう。
史実との違い
「王様と私」は、主人公アンナが野蛮な王ラーマ4世を近代化に導くというストーリーです。
王様の滑稽で素直な姿が魅力的で、多くのファンを持つ作品でもあります。
しかし、史実を基にしていると公表しつつも史実とは大きくかけ離れているようなのです。
75%は史実に基づく映画
「王様と私」は英国人の家庭教師アンナ・レオノーウェンスによって書かれた下記の自叙伝が基になっています。
- The English Governess at the Siamese Court(1870年)
- Siamese Harem Life(1873年)
しかし、注目すべきはこの後です。
映画の直接的な原本になったのは、マーガレット・ランドン著の「Anna and the King of Siam」なのです。
マーガレット・ランドンはアンナ滞在の70年程後にシャムで生活をしたアメリカ人です。
彼女はアンナの作品を基に、自分の知識も加え執筆しています。
彼女自身、作品の25%はフィクションであると宣言しているのです。
更に1946年に入り「Anna and the King of Siam」を基に20世紀フォックスが映画化しています。
アンナの自叙伝から少なくとも2回、上書きされていることになりますね。
このことも、史実とのズレを生じさせているのではないでしょうか。
アンナは王宮に住んでいなかった
劇中では王宮に住むことになったアンナですが、実際は王宮近くの家を与えられています。
アンナはシャムに渡る際に宣教師の住む地区へ住みたいと要求し、王に却下されたという経緯も持っています。
その理由はキリスト教を布教する教師なら必要ないという王家の意向です。
アンナは王の最後に立ちあっていない
劇中で王の最後に立ち会うアンナですが、実際は王の最後に立ち会ってはいません。
娘エイビスをイングランドの寄宿舎に入れていたアンナは、1868年に彼女の元へ赴き長期滞在をしています。
この間にラーマ4世は息を引き取っているのです。
更に王の死後、給料を上乗せしての再雇用を求めたためにラーマ5世であるチュラロンコンによって解雇されています。
映画と史実では大きな隔たりがあるようです。
象を送る話は史実と異なる