当然のことながら、タイでの物語であるもののタイ国内での撮影は許可が下りず、タイの俳優が出演することもありませんでした。
王様ラーマ4世は聡明で穏やかな人物
映画に登場するシャム国王はラーマ4世モンクット王です。
劇中で傲慢さ漂う国王ですが真実の姿はどうだったのでしょうか。
モデルとなったラーマ4世は聡明な王として知られています。
それを証明するかのように東南アジアの植民地化が当然という時代において、唯一タイは植民地にされていません。
西洋の文化を取り入れたりキリスト教を受け入れたり、強国とのバランスも上手く保っていったのです。
また中国の属国とみなされていたタイの西洋化を進めることで、近代化を進め国を独立させた功績も高く評価されています。
ラーマ4世は、即位前に仏教の修行僧として過ごしており、性格も穏やかで平和を愛する人物だったようです。
征服者と被征服者から見た二面性
タイ国民やタイを愛する人達からは批判対象の作品ですが、中立的に観るとその二面性を楽しむことが出来る映画といえます。
被征服者であるタイから見た映画
タイには独自の文化があり、国王は特別な存在です。
劇中のアンナは、自分勝手に要望を押し付けてくる強引さがあり英国流を貫く強情さを持っています。
郷に入っては郷に従えという謙虚さを全く持っていません。
タイの奴隷制や封建制を批判しつつ自分は召使を使用しているという点も、不快感を感じるでしょう。
更にタイの伝統的なお辞儀をカエルのようにみっともないといい放つ姿は、まさに征服者の言い分です。
この映画を被征服者からみたら、近代化のために我慢をする王家の姿となるでしょう。
ロマンス的な要素は、娯楽的な味付けでしょうか。
征服者であるイギリスから見た映画
逆に征服者サイドから見た映画は、未開の国を近代化に導き平和を与えた女性の物語となります。
アンナは野蛮な国をモラルのある優れた国へ導き、近代化の基礎を築きました。
また不器用な国王との甘いロマンスは女性の心を打ち、ラブロマンスとしても高い評価を得ています。
実際にアメリカでは何度も舞台化され、高い支持を得ているのです。
征服者サイドからみると、優越感に浸れるシーンが多く存在していることに気が付きます。
また、単なる娯楽映画として観ることが出来るのも征服者サイドの観方といえますね。
差別的要素は歴史の落とし物
「王様と私」は奥を知ると実に面白い映画になります。
この作品を楽しむには、当時の西欧の優越感や差別的な要素もひとつの歴史と捉え味わってはいかがでしょう。
史実との違いを把握しながら観ると、また違った面白さが見えてくるはずです。